桜にも毒がある、というお話し。

桜にも毒がある、というお話し。

みなさま、こんにちは!

ヨーガ・瞑想講師の竹田夕子です。

いかがお過ごしでしょうか?

桜の季節がやってきました!

人間社会はいろいろあるかもしれない昨今。

けれどこの時期になると、毎年毎年自然界には春がやって来てますね。

ありがたし。。。

 

桜の季節もそろそろでしょうか。

淡い桜の開花は毎年私たちの目や心を潤してくれますが、実はこの桜には「毒がある」ことをご存じでしょうか?

成分としてはクマリンというもので…桜の香り成分のひとつなのですが、

このクマリンを桜の根元の大地に浸透させて、他の植物の生育を妨げているみたいです。

(そーいえば桜の周りには雑草が少ない気がする..)

しかしその一方でこのクマリンは、自分の葉っぱを守る抗菌作用なども持ち合わせています。

 

んー、毒なのか、薬なのか。

 

そもそも「毒」と「薬」

どっちもどっちなんじゃないか、って私、思ってます。

すべての事物は二面性を秘めている、というか…

 

どちら側からみるか!

 

その視点からのみえ方によって、ある事物は、毒にも薬にもなるのでないかなーって思うのです。

クマリンはクマリンでしかない。笑

桜側からみれば、葉っぱを守ったり、他の植物に栄養を取られないようにするための、薬。

他の植物からみたら怖い成分の、毒。

 

ヨーガはどっち?

これってヨーガにもあることかもしれません。

心身の安寧と健やかさを育もうとヨーガを始めたのに、

(からだが固いから、柔らかくしたいしたいしたい…….)

(どうして私の身体は思うように柔らかくならないんだぁぁぁぁぁ……)

(あの人はあんなにきれいに動けるのに、私はなぜ動けないのよーーー)

という感じで

身体を扱うヨーガをしながら、身体や自分の理想に対しての欲や執着が強く出てくる。

むさぼりや妬み、もしかしたら先生を疑うことや、思うように変わらない自分に怒りを持つことも、あるかもしれません。

 

おーーーーー!これは「毒」ではないですか?

 

ヨーガしながら、毒が現れてきたら。

わたしはこれを、大チャンスと捉えます。

 

毒が現れた!大チャンス!

生徒さんなり、自分にもこのような「毒のような煩悩」が現れてきたら、それに気づき、それを認めるようにします。

最初は認めることがとても辛いことかもしれないのですが、ダイジョブです。慣れてきます!

修練です!トレーニングです!

 

毒があることを、気づかないのは、困りもの。

次に、毒をダメだダメだと否定すること、これも困りもの。

毒はあります!人間だもの。

 

大切なのは、その事物の見方です。

 

からだが固いという出来事に対しては

からだが固いなぁ、いつも動いてくれてありがとう。

と温かい気持ちを向けてみたり。

 

思うようにならないという出来事に対しては

ふー、他に気を付けてみるところはあるかな?

と意識の向け方を変えてみたり。

 

他の人がきれいに見えた出来事に対しては

あの人、きれいだなー、素敵!

と素直に美しさを認めたり。

 

もう最終的には、ヨーガが出来る、ありがとう!

という感謝の言葉で締め括りましょう!

 

桜が咲くことも、ヨーガが出来ることも

あたりまえのようで、実はありがたいことです。

 

どうですか?

こう考えると、毒となり得たヨーガの場面も

とっておきの修練の場となり、さらには美しき心を磨く場面となっていくのです。

 

クマリンも(←急に戻ってきました)、ヨーガも、

この世のほとんどの出来事は、み方次第。

 

みなさんは毒に囲まれてないですよね?

もしそう感じてる方がいたら、み方を変える練習を日々してみてくださいね!