Vol.9|北陸の地でお寺の歴史と今、そして未来に思い巡らせる

Vol.9|北陸の地でお寺の歴史と今、そして未来に思い巡らせる

12月初旬、東京から北陸新幹線で福井へと向かいました。長野あたりでちょっと雪景色を見かけたけれど、まだ本格的には降っていなさそうな印象。12月の北陸へ行くのは初めてかもしれません。

福井駅に着くと、待ってくれていたのは「未来の住職塾」修了生でもある、福井市 真宗高田派 浄善寺 住職の朝倉恒憲さん。朝倉さんのお寺のある一乗谷へと車を走らせてくれました。

一乗谷にてこれからのお寺を思う

一乗谷といえば、戦国時代に栄華を誇った朝倉氏の遺跡が残る土地。初冬の一乗谷はひっそりとした静けさが立ちこめていて、最盛期には人口が1万人を超えていたとは想像がつきません。
そこらじゅうにたくさんの石仏が存在していて、本当に尋常ではない数。これまでの歴史のどこかで、誰かが、何かの思いを込めて彫ったのであろう仏様たち。静寂の土地に計り知れない思いが留まり続けているような、不思議な感覚がありました。

そんな地にある浄善寺は、一つの岐路を迎えています。少ないご門徒さんでは伽藍の維持が今後は難しくなっていくであろうという判断のもと、今年の10月に本堂を解体されたのです。行ってみると、当たり前ながら本当にまっさらな土地になっています。
朝倉さんはこれからの時代にあうような本堂のあり方を模索なさっています。来年5月のお祭りが終わったら、新本堂の建設がはじまるそう。

「本堂がいざなくなっちゃうと、ここからまた始められるという気持ちになります」そう言って微笑む朝倉さん。音の少ない静かな一乗谷で、あたたかくて小さな光のような思いに触れました。次の春を待ち遠しく感じます。

正覚寺にてこれからの葬儀を考える

翌日、今年の春に新幹線の駅が開業した、越前たけふにある浄土宗 正覚寺さんへ。この日は福井教区 浄土宗青年会さんによる勉強会「これからの葬儀を考える 〜お寺葬の事例を起点として〜」が企画されていました。

「お寺葬(おてらそう)」という言葉に耳馴染みのない方は多いかもしれません。「お寺ってお葬式する場所じゃなかったっけ?」と思われる方もいるかもしれません。確かに、古くはお寺や自宅で葬儀が行われていました。しかし住宅の小規模化や葬祭業者の増加により、葬儀会館での葬儀が一般的になりました。地域差はありますが、1980年代以降の変化と言われています。

しかし昨今では、葬儀の規模が縮小化、そして葬儀費用が高額であるということから、お寺の本堂を会場とする「お寺葬」の可能性に着目するお寺さんが増えているのです。

お寺で葬儀を行なうことで、会館の使用料が抑えられ、使用する道具や備品も細かくカスタマイズできることから、施主さんのご負担を減らすことができます。
お寺としては、「葬儀」というセンシティブな時間をお寺で過ごしていただくことで、ご遺族にしっかりと寄り添うことが可能になるという点に良さを見いだせます。

「未来の住職塾」では2019年に大阪の遍満寺さんにて「お寺葬 事例勉強会」を開催して以降、何度か「お寺葬」に関する勉強会を行なってきました。そのことから「福井でもお寺葬の勉強会をやりたい」と、大野市 浄土宗 善導寺の大門哲爾さんが声をかけてくださったのです。

「お寺で葬儀をすることに、なぜ勉強会が必要なのか?」「葬儀は僧侶の本分じゃないか?」と思われるでしょう。しかし違うのです。多くの葬儀社さんは「お寺葬」には協力的ではありません。自社で所有する会館を維持していくには、稼働率を下げたくないのが心情です。葬儀社さんが「お寺葬」に対してなかなか動いてくれないとなると、葬儀社さんが担っている役割をお寺自身が行なったり、または会館を持たない小さな葬儀社さんをパートナーとする必要があります。それなりのハードルとなっています。

今回は、ひとり葬儀社さんをパートナーに、年間多くの「お寺葬」を実施している、静岡県伊豆の国市 真宗大谷派 正蓮寺の渡邉元浄さんも、葬儀社さんと一緒に越前市まできてくれました。お寺葬の良さであったり、実現のための工夫をお話しするためです。

青年会が実施するにはなかなかとがった企画だと思いますが、この勉強会のために地域や宗派を超えて30以上のお寺さんからの参加申し込みが入っているとのこと。企画者の大門さんが声がけを頑張ってくれたおかげです。

大きな伽藍に響く読経

会場となる正覚寺さんは650年以上にわたる歴史を持つ浄土宗寺院で、山門も大きく境内も広い。こんな場所を使わせていただけるのか、と驚きとともに少し緊張してきます。
本堂もすごく大きい。天井が高く、内陣も多くの僧侶が入る想定のつくりとなっています。

そして広いだけに、なかなかの寒さです(笑)ストーブなどの暖房機器を複数つけてくださっていますが、その周辺からなかなか離れがたい、、、。
あたたかい飲み物を淹れていただいて、暖をとる。これぞ北国の冬であるなあという感覚を味わいます。寒いけれど、心地の良いひとときでした。

会場準備が一通り済むと、大門さんの声がけでご本尊にお勤めをすることに。今回は浄土宗以外のお坊さんたちも参加されるので、参加者全員での読経は難しい(共通するお経がない)という判断から、開会前のお勤めにしたとのことです。

職業柄、こういった勉強会や研修に立ち会うことが多いのですが、学びの前に読経を行なう流れをとても好ましく感じています。やはり、気持ちが引き締まるものですし、場を使わせていただくにあたっての、ご本尊様への挨拶のようでもあります。
毎回、録音したいなあという思いに駆られるのですが、なかなか「録らせてください」とは言い出しにくい雰囲気です。

しかし今回は仲良くさせてもらっている大門さんなので、すかさず簡易的なマイク&レコーダーを設置して「大門さん、録らせてもらってもいいですか?」と声がけたところ、「ちゃんとしたのじゃないですよ」というお返事とともにOKな雰囲気。やった!

おりんの音が鳴らされると、ざわざわしていた準備中の本堂が静まり、皆がご本尊に向きあいます。複数のお坊さんによるお勤めはやはり迫力があります。それぞれの声が、混じりあっていきます。
それまで存在感のあったストーブの音が後ろにさがって、読経の声や木魚の音が広い空間を満たしていくように感じます。

南無阿弥陀仏の響き・変わり続ける世界

南無阿弥陀仏の響き、音の波を身に受けながら、前日に訪問した一乗谷 浄善寺さんのことを思い出していました。朝倉さんのお寺は元々の門徒さんが少なく、兼業で住職を務めているお寺さんなので、本堂を新しく建築するという物理的にも大きな変化を加えて、「お寺のできること」の可能性を、ゼロに近いところからの模索をチャレンジされています。

一方で、今日この日の勉強会のテーマは本堂を活用する「お寺葬」。檀信徒にとっては馴染みのある場所でお見送りを行なうことで、関係性を深めて次世代との繋がりを作りだしていこうというチャレンジです。

どちらも、これまでの歴史・経緯を把握し、今お寺が置かれている環境や、これから起きるであろう未来の変化を予測して、動いていこう・学んでいこうという姿勢のあらわれ。
それぞれの真剣なる姿勢に対して、自分としてはどのようなサポートができるだろうか。思いを巡らせます。

一乗谷の石仏から、南無阿弥陀仏のお念仏が聞こえてくるようなイメージが頭に浮かんできます。師走の空気感がそうさせるのか、本堂の冷えた空気のせいか、「いつだって常に時代の変わり目にいるんだ」という実感がひしひしと湧いてきて、勉強会に臨む意気込みが高まっていきました。

お寺のいとなみの中に

会の後に知ったのですが越前市近隣の寺院が集い、超宗派のグループ「光縁会(こうえんかい)」として、勉強会などを開催しているそう。まるでこの『お寺のじかん』を企画・運営する「坊主道」(山梨)や、「てらつな」(北海道)のようです。

また、越前市観光協会さんは、越前市には寺社が多いということを観光的にもPRしたいと考えて、数年前から市内の寺社と協力して「越前国府の御朱印・御首題巡り」という企画を実践されています。今後は御朱印だけでなく、お寺でできる様々な「体験」なども含めた取り組みとして、より多くの人たちに寺社の魅力を発信していこうと考えておられます。

キリッと冷えた空気の中での読経にも感じましたが、お寺という場でしか体験できないことの中に、人の感性や情緒に響く大切な何かがあるはずです。
北陸の地で、それぞれのお寺さんたちや観光協会さんのチャレンジの心に触れ、その「何か」を、多くの人々に届く形であらわしていくことが大切で、そこにこれからのお寺の可能性があると思いました。

 

おまけ|道中寄るならこんな店

万葉庵(福井県越前市余川町)
 この季節ならではの大きな越前がにをいただきました