厄ってなーに?
「厄」ってなんだろう?
新年を迎えると多くの方が初詣に行ってお参りをしたり、神仏にお祈りをしたりすると思います。
一年を無事に過ごせますように。健康でいられますように。世界が平和でありますように。
いろんなお祈りがあると思いますが、「厄除け」のお祈りをされる方も多いと思います。
そもそも「厄」とはなんでしょうか?
「厄」の歴史
日本の「厄」について記述がある最古の書物に『日本書紀』があります。
日本書紀には、天皇や貴族の厄災、災害、疫病などについての記述があり、厄に関連する記述も見られます。
また、厄年や厄払いの考え方の源流とされるような、神々や天皇が災厄を避けるために行った儀式なども記されています。
詳細を見ていきましょう。
①天変地異と厄
『日本書紀』では、地震や洪水、日食、彗星の出現などの天変地異が記録されており、それらが災厄(=厄)の兆候として捉えられた可能性があります。
たとえば、推古天皇8年(600年)には「日蝕」が記録されており、天変地異が人々に不安をもたらしたことが伺えます。
②疫病と厄払い
『日本書紀』には、疫病の流行についての記述もあります。
特に、天武天皇9年(680年)の条には「天下大疫あり」という記述があり、疫病の流行が人々にとって大きな災厄(=厄)であったことがわかります。
このような疫病は「厄災」として恐れられ、それを鎮めるために祈祷や神事が行われたと考えられます。
③祓(はらえ)と厄除け
『日本書紀』の中には、「祓(はらえ)」に関する記述も見られます。
雄略天皇の時代には※「物忌(ものいみ)」の風習があったとされ、これは後の厄除けの思想につながると考えられます。
※一定の期間飲食や行動を慎み避けること。
また、天武天皇の時代には、川で身を清める「禊(みそぎ)」の儀式が行われた記録があり、これが後の厄払いの起源とされています。
われわれがイメージする「厄」は「厄年」だと思いますが、まだ厄年に関する記述は日本書紀には見られません。
では厄年は何歳といった概念はいつからあったのでしょうか?
厄年に関する日本最古の書物は『続日本紀(しょくにほんぎ)』とされています。
『続日本紀』は、奈良時代の797年に編纂された日本の歴史書で、『日本書紀』に続く六国史の一つです。日本における厄年の最も古い文献記録とされています。
内容を見ていきましょう。
『続日本紀』延暦元年(782年)五月の条「男四十二歳、女三十三歳、此の年を凶年と為す」
この記述が、日本における厄年の最古の記録とされています。
当時の日本では、陰陽道(おんみょうどう)や道教(どうきょう)の影響 により、特定の年齢に災厄が降りかかると考えられていました。特に42歳の男性と33歳の女性は、「大厄(たいやく)」とされ、特に注意すべき年齢とされました。
この年齢については諸説ありますが有力なのは、人生の転換期説です。
42歳は体力の低下がはじまり健康を害しやすい年齢。33歳の女性は出産などで体調の変化が起こりやすい年齢。
『続日本記』以外にも厄年に関する文献はいくつか見られます。
長くなってしまいますので簡略に述べていきます。
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『 本朝月令』(930年頃) 現在の厄年(数え年で25歳・42歳・61歳・19歳・33歳・37歳)の基礎が登場
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『扶桑略記』(1094年頃) 陰陽師による厄払いの儀式が広まる
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『拾芥抄』(1241年頃) 庶民の間にも厄年の風習が浸透
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『御成敗式目』(1232年)厄年には新しいことを慎む
現代の厄年について
厄年の考え方は平安時代以降に陰陽道の影響を受け、広まっていったことが分かります。
特に、厄年には神社で祈願するという風習は、平安時代の貴族から始まり、鎌倉時代には庶民にも定着しました。
現代の厄年の考え方は、これらの歴史的な背景を持つ日本独自の文化といえます。
また、現代の厄年は上記に加え気学の考えも入り、より細かくなっています。
気学についてはまた別の記事で述べさせて頂こうと思います。
大切なこととは。
厄年にお祓いや御祈祷に行くことはとても大切なことだと思います。
しかしお祓いや御祈祷を受けるだけでよいのか。受ければなにをしてもよいのか。
そうではありません。
私は修行中に先輩に言われたことがあります。
「厄」は人の「役」に立つことが一番大切だよと。
お釈迦さまの大切な教えのひとつに「慈悲」があります。
慈悲とは思いやりを持つこと。
思いやりを持つとは自分の利益だけ考えるのではなく自分以外の人の幸せを考え行動すること。
そして森羅万象すべてに感謝の気持ちを持つこと。
「厄」を除く一番の方法は自分自身の行動の中にあり、慈悲のこころも持つことが大切なのではないでしょうか。
おわり

