「生」を語る涅槃図の絵解き

はじめての絵解き体験

長野県北部、長野市や千曲市を一望できる山の裾野にある「長谷寺」。

長い石段を一段一段登るごとに、空気が澄んでいくのを感じます。

この長谷寺では、毎年3月15日に、お釈迦さまが亡くなる時の様子を描いた「涅槃図」の絵解きが行われます。

「絵解き」というのは、描かれているものを解説したり、その絵がどのようなことを表現しているのかを語ること。

僧侶である私ですが、これまで一度も涅槃図の絵解きを見たことがなかったので、

今年の3月15日に長谷寺にお邪魔しました。

長谷寺の絵解き師・岡澤恭子さん

こちらが、長谷寺の涅槃図です。

お釈迦さまを取り囲むお弟子さんや動物が今にも動き出して、

その声が聞こえてくるような躍動感ある涅槃図に息を飲みました。

この涅槃図を語るのが、長谷寺の岡澤恭子さんです。

岡澤さんは長谷寺のご住職と結婚し、一人目のお子さんを出産した直後に、絵解きを担当することになったそうです。

大学や大学院で日本文学を研究されていましたが、仏教とは全く縁がなく、

涅槃図の絵解きを始めるにあたって、図書館で膨大な資料に目を通し、お経も内容を読み込んで

原稿をつくっていったそうです。

それも、まだ生まれたばかりのお子さんと向き合いながら・・・。

夜、お子さんが寝てから原稿づくりをされていたそうですが、

起きて泣きはじめてしまったら、ご自身の膝の上にお子さんを寝かせてパソコンに向かっていたとのこと。

岡澤さんがいかに懸命に絵解きに臨んでいたかが伝わるエピソードですよね・・・。

そして、今から27年前、岡澤さんは初めて絵解きを披露することになったそうです。

お釈迦さまの声を届ける語り

岡澤さんの涅槃図の絵解きは、その優しい声に導かれて物語のなかに入っていくような感覚でした。

 

お釈迦さまは、自分の死が近いことを悟られ、

クシナガラという地の沙羅双樹の元で横になり、最後の説法を始められます。

お釈迦さまのまわりには、お釈迦さまを慕う多くの人や動物、仏さまが集まっています。

お釈迦さまの死を受け止めることができずに泣きじゃくり、

最後は気絶してしまったというお釈迦さまの側近・アーナンダ。

自分のつくった料理がお釈迦さまの死のきっかけになってしまった、取り返しがつかないことをしてしまったと

自らを責め続けるチュンダ。

お釈迦さまの実の息子であるが故に、普段は遠くからしかお釈迦さまに関わることができなかったラーフラ。

お釈迦さまを囲む様々な人とのやりとりが丁寧に丁寧に語られていきます。

それを聞いていると、涅槃図の空間が一気に広がり、会場全体でお釈迦さまを囲んでいるような感覚になりました。

 

岡澤さんは

「絵解きをする時は出過ぎず、私の言葉ではなくお釈迦さまの言葉を聞いてもらえるよう心がけている」と

教えてくださいました。

まさにその通りで、

お釈迦さまとお弟子さんたちのやりとりを聞きながら、自分の日常の出来事と重ねて

お釈迦さまの言葉を聞いていたように思います。

今を生きるための仏教

岡澤さんは絵解きを担当し、仏教の世界に飛び込んでみて、

「仏教は、死と向き合う時だけのものではない。生きる知恵に満ち溢れている。」と感じられたそうです。

そして

『涅槃図はお釈迦さまの「死」を伝えながら、同時に「今日をどのように生きていくのか」と「生」を語るもの』と

受け止めていらっしゃいます。

涅槃図の絵解きを聞いて死と向き合ったとき、

「では、生きている今をどのように過ごしてくのか」を考えるきっかけになれば・・・という思いで

岡澤さんは絵解きを続けられています。

そして、涅槃図の世界を共有した人たちが、生きることを存分に味わい、かけがえのない毎日を生ききってほしい、

そんな願いと共に語り続けられています。

初めての絵解き体験はとてもリアルなもので、本当に絵のなかのお釈迦さまが語っているような感覚を味わいました。

日常に追われ「生きることを味わう」余裕がない私たち。

絵解きは走り続けている私たちの肩をそっと叩き、立ち止まる余白を与えてくれる時間でした。