YOGAを伝えることで見えてきた仏教との共通性 PART2

YOGAを伝えることで見えてきた仏教との共通性 PART2

先日の話です。
さまざまなジャンルの方が集まってお話を聞く場がありました。みなさんのお話を聞いている中で、ある「?」が浮かんできました。
みなさんはどれほどYOGAのことを知っているのかなー?ということ。

今回は、私が思うYOGAについて、少し書いてみようかな。


わたしがYOGAに惹かれている理由は
「自分らしい人生を、幸せに生きることに近づく智慧」だからです。
「自分という存在は、周りとのつながりの中で結ばれている結節点であることで成り立ち、自分という存在は何ものでもない、ということに気づける」からです。

まだ仏教のことをそんなに知らないくせに、勝手に仏教との共通点があると感じています。

YOGAは運動ではありません。
自分の純粋な部分に近づいていくツールです。
日々の生活の中で、日々実践していく「哲学」です。
日々の生活の中で、日々感じていく「スピリチュアリティ」です。

「運動」とか「ダイエット」とか「股関節がどれだけ開くか」という観点からは遠くとーーーーーおく離れています。

でも、昨日の場で少し感じた違和感。
たぶんみんな、YOGAのこと、あんまり知らない。
運動して、身体動かすと気分がすっきりして気持ちが良いから、YOGAって身体とこころを整えるんだって、そう思っている方も、多いのかもしれない。

ぜんぜん違うのにーーーーー。
YOGAは日々の修行みたいなものですよ。
わたしは毎日・毎分・毎秒、自分の考えや行いや魂の様子を観察して、
YOGA的に生きるという作業を積み重ねるように意識しています。

たまに、いや、結構な頻度で”ごちゃ”っとしてますけどね、しばらく”ごちゃ”っとしっぱなしの時もありますけどね。
それはそれでね、良いと思います。だから修行なんです。

YOGAに親しんでいる人たちは「食事・住んでいる場所・環境・考え方・生活」のひとつひとつ・自分の人生のいろんなことに、気をつけてる方が多いんです。

そんなに気をつけていられないよってくらい気を配ってます。

でもお坊さんもそうですよね?
いや、お坊さんは宗教家だし、もっともっとそれ以上に全てを意識化しているんだと思います。

どうしてそんなことをするのか?
その瞬間の一つ一つの積み重ねが、この世の人生になるからです。
魂が縁起によってこの身体を選んで、
この世に生まれてきた自分と言う存在になり、その自分が歩む人生となるからです。

このYOGAの概念って、仏教というか、仏道と似ていませんか?
悟りへの道を進んでいくために、仏教は修行をすると思うんですけど(あ。まだ仏教の修行については、実はよく知らないんですけど…)

修行を通して「人生をより自分らしく調和して生きる」ツールになる、

ここら辺がYOGAと仏教が似ている気がしています。
そして両方とも、周りの皆さんと共有することが出来る。

ね。ね。似ています。

今日はYOGAのお話をしましたけど、これからもっと仏教を学んでいかなければ!
「扉よ開け」って感じです。