お寺の朝課に通った半年間

お寺の朝課に通った半年間

【32歳のときの悩み】

ソーシャルテンプルの小澤です。

10年ほど前、私にはある悩みがありました。

それは職場が変わり、慣れない場所に住み、新しい環境で周囲の人とうまくやっていけないという悩みです。

そのため毎度の休日に帰省するのは当たり前、休日でなくても実家に帰り、翌朝早く仕事に向かう日々を過ごしていました。

 

【朝課への参加】

そんなある日、実家近くのお寺の朝課へ一般の人も参加できるという案内を見つけ、思い切って参加してみることにしました。

そのお寺の朝課は

4:30〜坐禅

5:30〜勤行

6:30 解散

という内容です。

経本の持ち方や礼拝の仕方など様々なことを教えていただき、週に1〜2回約半年間、住職のお勤めにご一緒させていただきました。

 

【住職の言葉】

そんな日々を過ごしていたある日、勤行が終わり仕事に向かおうとする私に住職が掛けてくださった言葉があります。

それは「小澤さん、四苦八苦って知ってますか?」という言葉。

 

その問いに対し「生老病死と

愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)

怨憎会苦(苦手な人とも会わなければならない苦しみ)

求不得苦(求めるものを手に入れられない苦しみ)

あとは五蘊盛苦(自分の感情や体でさえも思い通りにならない苦しみ)」と答えた私に住職は、

 

「小澤さん、、、わかってるじゃないですか!お釈迦さまでさえ苦しんだんだから、一般人の私たちが苦しく思うのは当たり前ですよ!」と言ってくださいました。

その瞬間、これまでのモヤモヤが嘘のように晴れ、早朝の清々しい風、鳥のさえずり、お線香のいい香りを感じました。

【仕方のないこと】

そうです。

苦手な人に会わないといけないのも、水の合わない場所があるのも仕方のないことです。

そして、それらを苦手だと思ってしまう自分のことを嫌だと思ってしまうのも仕方のないことです。

このことに気づいたら、なんと心の軽いことでしょうか。

 

ただ私は至らぬ人間なので、いつの間にか忘れ、またモヤモヤが心に生まれてしまいます。

そんなとき私は一人で掃除をします。

すると不思議と「あ、そっか。こう思って当たり前だった」とたどり着くことができます。

 

有難いことに私には掃除をする機会がたくさんあります。

きっとこれからもモヤモヤが生まれ、「あ、そう言えばそれで当たり前」の繰り返しになると思います。

でもその気づきを得ることで、少しずつ少しずつ心が楽になり、穏やかに過ごせる時間を増やしていきたいと感じています。