「世界は贈与でできている」を読んで布施を考える

「世界は贈与でできている」を読んで布施を考える

甲府市の書店「春光堂書店」。

月に1回、ここで読書会が開かれていて、以前から予定と気持ちが合えば参加しています。

何をしているかというと、「とある課題図書を設定し、それを読んできて、参加者同士で感想をシェアしあう」会です。

※読書会の公式サイト

各回で、課題図書を選んでファシリテーターをする幹事の役が回ってくるのですが、2月末の会にその役が回ってきました。

そこで課題図書に選んだのが『世界は贈与でできている』(近内悠太著)。

私自身、当メディア(お寺のじかん)を運営している一般社団法人SOCIALTEMPLEの事業を持続可能なものにするための取り組みをする「ファンドレイザー」として関わっている中で、「贈与」の概念は興味がある分野でしたが、ちゃんと知識を得てみよう、と思ったことはなかったのでこの機会にと思って選書しました。

僕たちはたくさん受け取っているものがある

この本では、「クリスマスプレゼント(サンタクロース)」を発端に、世の中にある「贈与」にまつわるものを取り上げながら、「贈与の仕組み」をいろんな形でときほぐしていく内容となっています。

詳しくはご一読いただきたいのですが、特に取り上げたい話があります。

受け取っていることに気づく

それは、「誰かからの贈与を受けっていることに気づく」ことについて。

本書の中では「逸脱的思考を通じて、自分たちが当たり前に享受していることに気づく(本の筆者は『世界と出会いなおす』とも表現)」という話をもって、贈与の「受け取り(の自覚)」について解説しています。

題材としては、「古代ローマ人が現代にタイムスリップし、現代の発展具合に驚く」という内容の「テルマエ・ロマエ」が用いられています。

現代にある「ウォシュレット」「ウォータースライダー」などに触れるたびに「これは!(古代)ローマに持ち帰って届けなければ!」と驚くとともに、(誰かに)届けようと考えるところに「贈与」の性質が含まれています。

現代人が当たり前のように享受している「コンビニ」「お米」「水道」などなど、「あることが当たり前」なものがたくさんあると思いますが、「ない」世界を知っている人にとっては、そのありがたみがわかるわけです。これはなんとなくわかっていただけると思います。

では、それらの当たり前が「ある」世界にした人がいる、というところまで、あなたは想像できましたか?

テルマエ・ロマエの主人公である古代ローマ人は、「ない」世界から「ある」世界に来たことによって、「(誰かから「ある」という贈与を)受け取ってしまったのだ」ということに気づき、「誰かに届けよう」として、「ローマに持ち帰って届けなければ!」と使命感を帯びるのです。

 

もう少し身近な話にしますが、せっかくなので「仏教の話」にしていいでしょうか?

「布施」「祈り」

私の実家はお寺で、実家に帰ると、住職である父が、毎朝お経をあげています。

 

このお経(=祈り)は、「誰に」向けているものでしょうか?

 

あくまで私の捉え方ですが、森羅万象、いやそれより幅広い三界万霊(つまり霊も入れちゃう)に対して、だと思います。

教えを通じて、救いをもたらす(ことをしたい)ために祈ることは、「その教えを知ってしまった以上、祈りを通じてこの教えを届けたい」ということにつながるのではないか、という捉え方です(前述の「使命感」ですね)。

 

ちなみに、この誰かに捧げる祈りのことを仏教では布施のうちの「法施(ほうせ)」と呼びます(※厳密な定義は「教えを説き与える」ことを指します。新纂浄土宗大辞典より引用)。

 

では、この祈りは、対象となる向きはあっても、その対象から「受け取ったよ!ありがとう!」とお礼を言い返してもらえるものでしょうか?

言い換えれば、祈っている対象である「森羅万象」や「三界万霊」は返事をしてくれるのでしょうか?

 

おそらくしないですよね。

 

でも祈るのです。

 

それは、「誰かがその姿を見たことによって、その法施を受け取ったことを申し出る」イコール「何かを布施する(これはお金とは限りません)」ことによって「法施という贈与」が成立するものと考えます。

 

なぜ「世界平和を祈る」ことが必要なのか?

 

究極的にこれにこたえるのであれば、「その祈りを受け取った人が、さらに祈ってほかの人に届ける使命感を帯び、それが全世界の全員に届けあえば、世界平和に通じる、その贈与のスタート地点になりえるから」というロジックになるでしょうか。

 

そのような視点で、普段からあるものに対して、日常にあふれている事物に対して、目を向けてみてはいかがでしょうか?

 

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