お寺さんの音景色 Vol.13|京都・瑞泉寺に響く「殺生塚」の祈り
京都・三条大橋のたもと。
観光客や買い物客が絶えず行き交う繁華街のすぐそばに、静かに歴史の重みを抱え続けてきたお寺があります。
代々、豊臣秀次公とその御一族の菩提を弔ってきた慈舟山 瑞泉寺です。

2026年5月17日に、瑞泉寺にて創作舞台「殺生塚」が上演されました。能楽師・安田登さんを中心としたメンバーによる奉納舞台で、私はその公演を拝見した翌日、瑞泉寺 住職の中川学さんにお話を伺いました。
430年前の記憶が残る場所で
瑞泉寺が建っている場所は「秀次事件」と呼ばれる悲しい出来事の舞台となった場所です。
1595年、豊臣秀吉公の甥である豊臣秀次公は、様々な思惑から切腹に追い込まれ、その後、側室34人と5人の子どもたちが京都の三条河原で処刑されました。処刑された人々は大きく掘られた穴に投げ入れられ、その上に巨大な塚が築かれたと伝わっています。
当時「殺生を好む関白である」という流言を広められていた秀次公の塚は「殺生関白の塚」と呼ばれ、やがて「殺生塚」という名前が残りました。
現在の京都の街並みからは想像もつきませんが、瑞泉寺の本堂は、そのような惨劇があった場所に建っています。

一歩外へ出れば、飲食店が立ち並び、観光客たちが賑やかに行き交っています。しかし、そのすぐ近くで、430年前の死者たちへの弔いの舞台が行われている。その感覚に、私は何度も不思議な感覚を覚えました。
公演の冒頭、中川さんは「これは法要だと思っています」と語っていましたが、実際に舞台を観劇する中で、その言葉の意味が少しずつわかってきます。
名前を呼び続ける舞台
「殺生塚」の舞台で特に印象的だったのは、側室たちのお名前と辞世の句が読み上げられ、それぞれのお方をモデルにした人形に向かって刀が振り下ろされていく場面でした。
お一人おひとり順番に、丁寧に進められていくので、最初は「まさか全員分を読むのか」と驚きます。
しかし、その反復が続いていくうちに、だんだんと時間感覚が変わっていくのです。
お人形が運ばれる。
名前が呼ばれる。
辞世の句が読まれる。
刀が振り下ろされる。
観客の目の前の台座にお人形が置かれる。
また次の名前が呼ばれ、お人形が運ばれる。
その繰り返しによって、舞台は次第に“儀式”のような空気を帯びていきました。
中川さんによると、途中で人数を絞る案もあったそうですが、「誰かを外すわけにはいかない」ということで、最終的に全員分を読む構成になったそうです。
それぞれのお方全員の“名前を呼ぶ”という行為は、まさに法要そのもの。
背景では、この舞台のために安田登さんが書き下ろしたという「南無阿弥陀仏のうた」と、瑞泉寺ご住職と副住職による読経が流れ続けています。
涙の先にあったもの

この舞台は単なる「悲劇の再現」ではありませんでした。
もちろん、起きた出来事は凄惨です。冒頭から涙を流している観客もたくさんいました。しかし、最後まで見終わった後の空気は、決して重苦しいものではありません。
むしろ、どこか清々しさのようなものが漂っていたのです。
読み上げられる辞世の句は、「なぜこんな目に遭うのか」という恨み言ではなく、「秀次公のもとへ参ります」「悔いはありません」といった、静かで凛とした歌が多かったです。
当時の女性たちが仏教への深い信仰と共に生きていたことも伝わってきました。
死の直前に、言葉を紡ぐこと。
その様子が目の前で再現され続けていくと「人が祈りと共に生きていた時代」の感覚が、少しだけ自分の身体にも入ってくるような気がしました。
本堂を満たしていた“音の渦”
そして何より、この舞台は「音」の体験でした。

(イラスト:中川学)
本堂には、鍵盤とパーカッションの演奏が途切れることなく流れ続けています。その上に、能の発声、歌、読経が重なっていきます。
鎮魂のメロディを奏で続けたヲノサトルさんは、公演後にSNSで「数百年前に亡くなった方々の名前と辞世の句が読み上げられる間、たえまなくキーボードを弾き続けるという行為自体が「行」であり「祈り」でもあるような。始まってしまったら汗もふけない1時間半。ミュージック・ノン・ストップ」と投稿していました。
それに対して中川さんが「それはまさにお念仏!」と返していたことにも頷きました。
実際、その場にいると、演奏なのか読経なのか、舞台なのか法要なのか、その境界がだんだん曖昧になっていきます。
お経の声。
鍵盤のメロディ。
出演者たちの歌声。
それらが混ざり合い、本堂全体が混沌とした「音景色」を織りなしていました。
にぎやかで明るい「陽」の気に溢れた京都の街中に、「陰」の気を静かに漂わせる音の場が広がり出す。
これこそ、お寺という場ならではの役割と言えるでしょう。
門を開き続けるお寺

瑞泉寺は、豊臣家ゆかりの寺であることもあり、徳川の時代以降は静かに守られてきた歴史があります。しかし、中川さんの父である先代住職が門を開き、資料展示を始め、誰でも立ち寄れる場所へと変えていきました。
現在では、外国人観光客もふらりと入ってきて、展示を見て驚き、静かに手を合わせて帰っていくそうです。
中川さんは、「ここで何があったのかを、現代の人たちに知ってほしい」と語っていました。
豊臣秀吉という英雄が、晩年には理不尽な粛清へと向かっていったこと。権力は人を暴走させること。そして、それは決して過去だけの話ではないこと。
だからこそ、この場所は語り続けなければならない。
「殺生塚」は、そんな瑞泉寺の祈りが、舞台芸術という形で現れた時間だったのかもしれません。
京都を訪れた際には、ぜひ瑞泉寺に立ち寄ってみてください。賑やかな街のすぐそばで、今も静かに、430年前の人々への供養が続いています。
▼ 瑞泉寺ご住職の中川学さんへのインタビュー音源をお聞きいただけます。
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