カンボジアで感じたこと。 -幸せって何だ-
【カンボジアで感じたこと。】
みなさま、こんにちは。
ものすごい暑い日々が続いていますねー。
地球がそろそろオーバーヒートしているような、そんな気がしています。
私たち人間も、人間至上主義の生活を、少しだけでも良いから見直して生活を選んでいかないと、地球に見放されてしまうかも、なんて日々思っています。
先日、カンボジアへ行ってきました。
「何をしに行ったの?」と言う質問に対して
「んーーー、ボランティアです」と答えはするのですが、
正直ボランティア活動はしていても、私的にはほぼ自己満足の活動となっている気がします。
内容は、日本国内から多くの皆様に協力を募り、不使用となった靴や文房具や衛生管理品(石鹸や歯ブラシ)をこの手で、目の前で、子供たちに届ける活動をしています。
毎年子どもたちに直接会いに行く。
この活動をしているHeritageという団体は、もう17年という長い間、この活動を毎年続けています。
そうなると、貧困でとても厳しい生活の中で生きていた子どもたちが、支援を受けて、無事に成長し、その途中で夢を持ち、その夢に向かって頑張る。
そして大人になり、仕事に就き、結婚をする。
そんな成長をともにみる事も出来るようになります。
【幸せってなんだ】
この数年で、カンボジアにも急速な文明の波が押し寄せているそうです。
実際に、都市部では日本と変わらないような高級車がアスファルトの道路をブンブン飛ばして走っているし、ブランド品が揃うデパートや、クーラーが利き過ぎてるくらいのコンビニがあったりします。
その一方で、その都市部を少し離れると、都市から大量に出たゴミの山。
ゴミの山で働く子ども。
焼けるような熱さの赤土の道。
両親と暮らしていない子どもたち。
教育の機会を失っている子どもたち。
そんな現実です。
でもその現実に対して、「幸せ」・「不幸せ」というラベルを勝手に私が貼りつけることは、違うということも分かっています。
「幸せ」って、それは人が評価するものではないだろうし、カンボジアの子供達に直接会ってお話をしたら「貧困だから不幸せだ」なんて決め付けは、恥ずかしくおこがましい事だと痛感します。
日本では少し遠のいてきたように感じられる「家族の温かさ」があります。
日の出ととも起き、土の上で遊び働き、みんなでごはんを食べお腹を満たし、疲れて眠る。
「ボランティア」という名目で訪問していますが、こちらが気づかされることや、温かくなることがとてもたくさんあります。
子どもの笑顔に会いたいから行く。
喜んでくれるから直接、行く。
【する→してもらう、という関係性ではない〝学び〟がある場所】
私たちが訪問することで、カンボジアの子供たちに、カンボジアの家族に、どんな影響が出るのかは、正直分かりかねるところがあります。
でも、目の前のことに対して少しでも助けになるんじゃないかと感じることがあって自分にも何が出来るんじゃないか、と思ったら。
いろいろ理由をつけてそれをしない決断をするのも、違う気がしています。
自分の心の声に理由などつけずに、行動に移すことが出来たら少なくとも自分は幸せだし、その輪がどんな風に広がっていくかはその先のこと。
待ったなしに、世界情勢や地球のご機嫌が大きく動いている今。
今の自分が何をしたいのか、
「何が出来るのか」、この視点を持って、日々幸せに生きていきたいものです。
そして、このお話を仲良しのお坊さんに伝えたところ、
「布施行」という言葉を教えて頂きました。
「仏教の布施行は、見返りを求めずに施すこと」
子どもの笑顔が見たい・喜んで欲しい・夢を持って欲しい・生きて欲しい・家族と仲良くして欲しい・幸せになってほしい・知って欲しい・などなど。
「こうなって欲しい」という欲があり、少しでも見返りを求めている私は、まだまだ布施行の布の字にも届いていないと思いますが、いつの日か純粋に布施行が出来ているようになると良いな、なんて思います。