ご利益寺を巡ろう!750年の時を超え『鵜飼山遠妙寺』の「歴史」と「今」に触れる

ご利益寺を巡ろう!750年の時を超え『鵜飼山遠妙寺』の「歴史」と「今」に触れる

鵜飼山遠妙寺の歴史は奥が深い

 

昔むかし、はるか昔、鎌倉時代のお話。

身延山は、甲斐の国波木井(はきい)郷を治める南部実長(さねなが)の領地でした。

その実長が身延山に招きいれたのは、幕府や他の信仰をもつ者によって命を狙われていた日蓮聖人でした。法華経の教えで人々を救い、修行に精進した日蓮は61年の生涯を閉じたとき、遺言により遺骨は身延山久遠寺に埋葬されたそうです。その身延山久遠寺は、日蓮宗の総本山であることは有名な話ですね。

 

▲本堂の前には日蓮聖人の石像があります

 

 

日蓮聖人が身延山に入山し、草庵(今でいう家のことです)を作っている間の時間、法華経巡教の旅にでたのですが、ふと立ち寄った石和の地で、「鵜飼の亡霊がでる」と聞いた日蓮聖人は、法華経28品およそ6万9384文字を、ひと文字ずつ小石に書いては川に投げ入れる川施餓鬼(かわせがき)供養を行いました。すると亡霊は成仏し、以来現れなくなったそうです。

 

これにより、創建されたのが「鵜飼山遠妙寺」なのです。

身延山久遠寺と同じく1274年、750年近く続く歴史あるお寺です。

 

▲一字一石の経石

 

▲仁王門

 

▲本堂には、静寂な時間が流れています

 

 

ですので遠妙寺は、川施餓鬼(かわせがき)根本道場として、鵜飼の伝説に関するものが多く、鵜飼堂(鵜飼遣いの墓を納めている)や、鵜飼天神、鵜飼の供養塔もあるんですよ。

 

▲鵜飼の仏像も祀られています

 

 

 

さらに、江戸時代には、甲州道中を経て甲府へ向かい、富士川沿いに下り身延山へ入る身延詣でが盛んになったのですが、遠妙寺はその旅の立ち寄り所としても親しみがあったお寺だったのです。

 

▲「身延参詣甲州道中膝栗毛」にも遠妙寺が描かれています

 

 

鵜飼山遠妙寺の名前の由来と、能との関係

 

こうして創建された遠妙寺ですが、もともとは「石和山鵜飼寺」という名前だったとか。

 

ある時、身延山久遠寺の22世法主・日遠(にちおん)が、『遠伝妙道(おんでんみょうどう)』(お経を唱える声が絶えない聖地)であると、1623年頃に「鵜飼山遠妙寺」と改名し、今に至ります。

 

また、日蓮聖人の川施餓鬼(かわせがき)供養が、演目の一つとして披露されていることから、能や狂言の世界でも「遠妙寺」の名を轟かせているというのです。

年に一度、かがり火を焚き、その中で演じられる薪能では、能の演目「鵜飼」を人間国宝の方たちが来て舞うそうで、石和の町おこしと共に、季節の風物詩となっています。

 

 

 

ご利益は、七福神の大黒天神

 

七福神は福徳をもたらす神として、室町時代から信仰をあつめ、江戸時代には大変盛んとなりました。

遠妙寺が位置する石和には、七福神を祀るお寺が点在していて、「遠妙寺」は、そのうちの大黒天を祀っています。

 

 

鵜飼川から現れた石躰自然(じねん)大黒天を所蔵し、この分身を福聚(ふくじゅ)開運大黒天として境内に勧請(かんじょう)安置しているのも、見どころのひとつです。

男性の拳ぐらいの大きさの艶のある石なのですが、よ~く見ると、大黒天のように見えるから不思議。

石躰自然と呼ばれているのは、このような経緯があるからなんですね。

 

▲右が石躰自然大黒天です。どことなく左の大黒天神のように見えませんか

 

 

ご利益は、もちろん「商売繁盛」。

本堂の近くで、この大黒天神は愛くるしく微笑んでいます。

どうか大黒天神のご利益にあやかれますように…。

 

 

 

住職としての想い

 

ここまで、現住職の長澤さんに、歴史的にも由緒ある「遠妙寺」のお話を伺ってきたのですが、

現在に於けるお寺の様子についても訊ねてみました。

 

 

寺離れ・葬式離れ・散骨・墓終い・位牌も仏壇も設けない家庭など、昨今、お寺の世界は様変わりしたように思えます。

そんな現状を、長澤さんは「仏教界の危機」と嘆き、著書『今、先祖観を問う』の中でも訴えかけています。

 

実は考古学者の一面も持つ長澤さん。

 

著書には、先祖の意味、葬儀の意義から、現代社会の実態、散骨や0葬(火葬した時点で終わり、遺骨処理は火葬場に任せ、それを引き取らない)への問題提起、お寺やお坊さんへの批判にたいしての回答と、多岐に渡って、私たちに先祖観とはどういうものなのかを導いてくれています。

 

 

大切なことは「手を合わせる」こと

 

散骨や0葬を例にとると、ただ単にお金の問題と言ってしまえば、それで片付けられてしまうことかもしれません。

しかし、長澤さんは「お寺にしても、葬式、墓、仏壇(位牌)にしても、派生した問題であって、その根源にあるのは『手を合わせる』こと。手を合わせる対象がいないということは、どういうことなのか。どんな意味があるのか」と言います。

 

手を合わせる時は、心が落ち着いている証拠。

ありがとうの感謝の気持ち、お願いしますという守りの気持ち。

手を合わせる所作は、謙虚な気持ちの表れであり、手を合わせるたびに謙虚のトレーニングをしているのだと言います。

しかし、合掌するシーンがなく育った人や、手を合わせる意識がないまま生きていると、権利主義に偏っていくのではないかと危惧します。

ギブandテイクだけの発想では、喧嘩しかない社会になりやしないかとも。

 

「手を合わせる」ことによって、そこにあるものは、人の優しく接する気持ちや、常に感謝する心なのかもしれませんね。

 

 

遠妙寺が今するべきこととは

 

日本仏教では、お坊さんは社会的存在として位置づけられています。

長澤さんはもう一度、その社会的存在の意味と価値を得ようとしています。

それは、社会人としての側面と、お坊さんとしての側面、2つの方向から何をすべきか考え、行動しなくてはならないときに来ているのだと言います。

それは裏を返せば、地域と共存していくことになります。地域の中に密着して、その地域で何かできるのかと、長澤さんは奮闘する毎日を送っています。

 

 

 

「善悪の分別もわからず、権利ばかりを主張すると争いしかない社会になってしまいます。

今、昔の道徳がなくなってきてしまっていることが、何より怖いですね。

地域がなぜ大切なのか?それは、地域が活気づいていれば、社会も活きて、権利や個ではなく、共存し合あう気持ちが生まれるのでは。

そのために私は、10のうちの5を住職して全うし、5を地域活動に充てるようにしています。うっとうしく思われるかもしれませんが、それが1番大切なこと。

道ですれ違う人、みんなが知り合いというぐらい、どっぷり地域と関わって、たわいもない会話をしたり、相談にのったり。お坊さんって、そういう役割だと思うのです」。

 

安心して居られる地域、そんな地域を繋ぐお寺として、長澤さんは「遠妙寺」から人々を見守り続けていきます。

 

 

鵜飼山遠妙寺

山梨県笛吹市石和町市部1016

055-262-2846

鵜飼山遠妙寺