お寺豆知識 第16回 煩悩と向き合う
【煩悩と向き合うとは】
今年は暑い日が多かったですね。
皆様どうお過ごしでしょうか。
坊主道メンバー、浄土宗敬泉寺にて住職を務めております、酒井玄暁と申します。
「こうも暑いと食欲も出ないし、やる気も出ない」
「エアコンのスイッチを入れて部屋を涼しくしないと何もできない」
などなど、こうボヤいてる人は私だけではないと思います。
私は40代ですが、小さい頃は自然の風や余程暑くても扇風機で充分でしたし、夜暑くて眠れないということもほとんどなかったと記憶しています。
それが今ではエアコンがないと生活ができないというところまできてしまった人も少なくないのではないでしょうか。
最初は「少しでも涼しく過ごしたいけれど、電気代が高くなってしまうし…」という気持ちで自重しながら本当に暑い時だけ使用してきたと思います。
しかし技術の向上により電気代が低く抑えられるようになったことで常時使用するようになり、涼く快適な環境に慣れてしまった。
人間の心と体は放っておくと楽で快適な方へ流れていってしまう一つの例ではないでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたが、今回のテーマは
煩悩です。
【ぼんのうってなんだろう???】
煩悩とは読んで字の如く人の心と身体を煩わせ、悩ませるものです。
煩悩の数は通俗的に108つあると言われておりますが、(除夜の鐘で鐘を108打するのは、それら煩悩を追い払い、新たな気持ちで新年を迎える為という話を聞いたことがある方も多いことと存じます)実際には時代や宗派によってその数は多少変わっていきます。
数ある煩悩の中で代表的なものが「三毒」(さんどく)です。
[三毒とは]
三毒は①貧欲②瞋恚③愚癡の三つを指し、これらが人間の心身を蝕む根源であると考えられています。
①貧欲(とんよく)
自己の欲するものをむさぼり求めること。
非常に欲の深いこと。
名声や利益をむさぼること。
あれが欲しい、あの人に好かれたい、出世して所得を上げたい、美味しいものを食べたい、多くの人に認められたいなどなど欲は際限なく存在します。
②瞋恚(しんに)
怒り憎むこと。
自分の心に違うものを怒りうらむこと。
自分のプライドを傷つけたあの人が許せない、自分より人気がある人が許せない、先に出世した同僚が許せない等、こちらも様々な怒りがありますが自分の欲を邪魔されたことに怒りを感じるという心理が見て取れます。
③愚癡(ぐち)
真理に対する無知。
心が暗くて一切の道理に通じる智慧に欠けた有り様。
それが誤った行いの原因となる。
失敗の責任を他者に被せる、人の成功を妬む、人の失敗や不幸を喜ぶというような愚かな心や行動を指します。
どうでしょう、大なり小なり多くの人が持ち合わせているものではないでしょうか。
現在日本で起こっているスポーツ界の問題や世界で起こってる諸問題もこの三毒に集約されると言えなくもありません。
[煩悩とどう向き合う?]
しかし他方では「煩悩の中にはモチベーションとなり得るものがある」という考え方を持たれている方もいらっしゃるとは思います。
「自分がこうなりたいという目標を持ちながら生きる事」は決して悪い事ではありません。
それが周りの人に良い影響をもたらすものであれば素晴らしいものです。
ただこれが私利私欲を求めるものであれば話は変わります。
せっかく立てた目標が周りを顧みることなく自らの利益を追求するものであり、他者が不利益を被ることになってもお構いなしというものであるならば周りの理解や信頼を得ることは難しいでしょう。
それでもうまくいっている時はまだいいでしょうが、一旦歯車が狂ってしまえば1人2人と人が去って行き、最後には孤独が待っているのかもしれません。
仏教の教えは煩悩を取り除いて人々を幸せに導くものですが、煩悩を完全に消し去ったのはお釈迦様以外にはおられません。
我々人間が煩悩を消し去る事は簡単な事ではありませんが、煩悩があっても良いと諦める事は違います。
貪りに対して施す心、怒りに対して寛容な心、愚癡に対して学ぶ姿勢で臨めばいつしか三毒も薄れてきます。
今ある煩悩に向き合い対処して、より豊かで心穏やかな人生となれば何よりの幸福ではないでしょうか。