第2回【あなたの街のお寺さんぽ】山梨市・西源寺

第2回【あなたの街のお寺さんぽ】山梨市・西源寺

地域に溶け込むお寺「西源寺」の住職・若月和道を訪ねる

 

車を降りると、心地よい風がフワッと頬に触れて優しく通り抜けていく…。

山梨県山梨市の牧丘町にある「曹洞宗長松山西源寺(さいげんじ)」は、笛吹川の上流域に開かれた標高約750mの高原の里に位置しています。

西保地区と呼ばれるこの集落は、深刻な過疎化に悩みながらも美しく暮らす人々の姿が見られる素敵なまち。

第2回目となる今回の【あなたの街のお寺さんぽ】は、「西源寺」の19世現住職である若月和道さんを訪ねました。

 

西源寺の特徴

建久初年(1190年)、山梨市を拠点として遠江国(とおとうみのくに)を支配した有力な武将「安田義定公」の守護寺として創建された「西源寺」。

その後、同じく山梨市にある永昌院の七世「格外忠越大和尚(かくがいちゅうおつだいおしょう)」を勧請開山(かんじょうかいさん)し、曹洞宗として歩み出してから現在19世になるこの地域に根付いた歴史のあるお寺です。

 

鐘門をくぐると正面に本堂、すぐ左手に「癒護稲荷大明神」があります。

そしてその隣には、「水子地蔵尊」と、極めて珍しいとされる貴重な「四ヶ国観音」が並んでいます。

他にも、季節になると美しい花々を咲かせる桜の木や竹林、たわわな実をつける梅林やゲートボール場まであり、豊かな自然の残る広大な境内であることが分かります。

 

▲山門と鐘楼堂が一体化された、鐘門

▲築250年の美しい本堂(2018年8月現在)

▲鐘門をくぐってすぐ左手にある「癒護稲荷大明神」

▲「水子地蔵尊」

▲日本百観音と当国の三十三観音が一同に揃う貴重なお寺でもあります

▲わざわざ訪れる価値のある場所と言えるでしょう

▲かつてテニスコートだった場所を現在はゲートボール場として近所の人々が活用しています

水子祭りや夏の盆踊り大会など、四季折々の行事がある「西源寺」ですが、その中でも忘れてはいけない事と言えば「菅西祭(かんさいまつり)」。

西源寺の6世住職が同地区にある「菅神社(すがじんじゃ)」に御神体を寄進したことから、平成5(1993)年頃より毎年10月10日に「西源寺」と「菅神社」が共に主催する秋祭りが開催されています。

日中は、「菅神社」にてお参りやもち投げ、夕方「西源寺」にて寺宝である「魔除け・厄除け 餓し威の袈裟(がしおどしのけさ)」がご開帳となります。

夜には、花火が打ち上がることもあり毎年多くの人々で賑わうのです。

「西源寺」の一番の特徴は、檀家さんとの繋がりはもちろん、地域の人や子どもたちが日常的に集まるお寺であるということ。

地域の心のよりどころとして親しまれているということです。

▲毎年境内で開催される盆踊り大会の様子

 

大切にしていること

出迎えてくれたのは、「西源寺」の現住職の若月和道さん。

「私は、九州で産まれて幼少期は東京で生活をしていました。

父親は高校の教師をしていて、祖父がここの住職。

そんな縁もあり、私も小学校2年生から中学校2年生までの間この場所に住んでいました。

当時、まさか自分がお坊さんを志すようになるとは考えてもいませんでしたね」

若月さんの父親は、ソフトテニス部の顧問として広く名を馳せる有名な教師だったそう。

その為、幼い頃から自宅には多くの学生が出入りし、ここ西源寺にあるゲートボール場もかつてはテニスコートで、県外から多くの学生が合宿に訪れたと言います。

「あなたは将来どうするの?もし、あなたがお坊さんを志さないのであれば祖父の代を最後に西源寺に入ることはできなくなるのよ?」

ソフトテニスは一切やったことがないという若月さんは、部活に明け暮れる学生生活を送っていたわけでもなく、高校卒業後の進路も特に決まっていなかったそう。

そんな時に親戚に言われたこの言葉が若月さんの人生を大きく変えることになったと話してくれました。

「幼い頃から住むところが色々と変わってきた私にとって、山梨での生活は特別なものでした。

その場所に訪れることができなくなることは、素直に寂しいと感じたのです」

何の知識もないまま飛び込んだ仏教の世界。

19歳の時、東京にある曹洞宗の永平寺東京別院である長谷寺(ちょうこくじ)にて2年間修行をしました。

禅宗とも呼ばれる曹洞宗は、食事や掃除、排泄など、生きる為に必要な日常の全てを丁寧に行うことを大切にしています。若月さんはここで多くを学び、2年後「西源寺」へ入りました。

▲食事は、こちらの「応量器」で水一滴も無駄にすることなくいただきます

大切にしていることは、地域に溶け込むお寺であるということです。それは、今までこの場所で「西源寺」が行ってきた当たり前のことだと若月さんは言います。

「私が住職になって変わったことなどありません。

今までもこれからも地域の人が集うお寺であり続けることがこのお寺がある意味だと思っています」

 

▲平成13年には、檀家さんの位牌をお預かりする「位牌堂」が完成しました

子どもの心に残るお寺

境内を子どもたちが走り回り、本堂の中にある室中で宿題をする…。

「西源寺」では、地域の子どもたちが当たり前のようにこのような過ごし方をします。

▲夏休み期間中、子ども達が夏休みの宿題とお弁当を持って一日過ごすこともあるそう

2018年8月に「お寺でキャンプ」が開催されました。地域の子どもはもちろん、大人たちも一緒に境内でキャンプをしながら「禅」を学ぶという新たな挑戦です。

若月さんは、2016年まで山梨市役所に勤務しながら住職をするという二足のわらじを履いていました。

市役所で培った経験を生かしながら、自らも積極的に地域の行事に参加。

繋がりを大切にし、ぐるぐると循環しながら持続する地域を目指しているのです。

「私がそうだったように、幼い頃遊んだ場所の記憶というものは大人になっても忘れないものです。

お寺の境内を思い切り走り回って遊んだ子どもたちの記憶として西源寺を残していきたいと思っています。

地域に溶け込むことが、自然と次代へ繋ぐ土台つくりとなると信じています。

このお寺ではなくても良い、仏教という大きな括りの中で、誰かの支えになることを望んでいます」

そう若月さんは話してくれました。

 

坊主道との出会い

2017年に山梨で開催された「未来の住職塾」に参加し、会場で坊主道のメンバーに出会ったことが若月さんと坊主道との出会い。

「自分と同じように、伝統の守りながら前進していかなければいけないという考えを持つ坊主道に打ち解けるのに時間はかかりませんでした。

同じ志を持って挑戦し、前に進める仲間を持てたことは私にとってかけがえのないことです。」

若月さんは、坊主道への思いをこんな風に話してくれました。

 

山の中伏の過疎化が進む小さな集落に佇む「西源寺」。

地方の小さなお寺ではあるけれど、地方の小さなお寺だからこそできることが沢山あるということを教えてくれたように思います。

地域に溶け込み、いつまでも大切な記憶として残っていく…。

そんな、いつの時代もみんなの心のよりどころであるお寺を、地域みんなでもっと大切にしていかなければいけないのかもしれません。

 

 

曹洞宗長松寺西源寺

山梨県山梨市牧丘町西保中1780

http://www.saigenji.org