第3回【あなたの街のお寺さんぽ】甲斐市・妙秀寺
山梨県甲斐市にある妙秀寺を訪ねて
鎌倉時代、僧侶であった「日蓮聖人」が開山した「日蓮宗」。
日蓮宗は、妙法蓮華経(法華経)を信仰することこそがお釈迦様の教えであるとし、「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えることを重んじている宗派です。
今回訪れたのは、日蓮宗の大本山「池上本門寺」の末寺(まつじ)である、山梨県甲斐市の「妙秀寺(みょうしゅうじ)」。
日蓮聖人の遺言によって遺骨が葬られている、日蓮宗・総本山の同県「身延山久遠寺」からは、車で1時間程の場所にあります。
あまりにも当たり前だった「仏教」
▲妙秀寺の17世住職の浅野文俊さん
「今日はこれから写経会があるんですよ。もし良かったらご一緒にいかがですか?」
そう声をかけてくれたのが今回の主人公、妙秀寺の17世住職・浅野文俊さんです。
浅野さんが妙秀寺の住職になったのは2015(平成27)年のこと。
「私は、祖父や父、親戚も住職をしている環境の中で育ってきました。
生まれた時から私の暮らしの中には、当たり前のように仏教があり、お寺があったのです」
甲府市にある同宗派のお寺で生まれ育った浅野さん。
代々住職をつとめる家系だったこともあり、自身の将来についてもあまり深く考えることなくこの世界に飛び込んだことを話してくれました。
日蓮宗の総本山・身延山久遠寺にある身延山大学を卒業後、そのまま父が住職のお寺にておつとめを開始。
そこには、先に浅野さんが話してくれた通り、あまりにも当たり前の日常が流れていたのです。
そんな浅野さんに転機が訪れたのは、甲斐市にある妙秀寺が無住寺院になってしまう相談を受けたこと。
ここから浅野さんの、全く知らない土地での新しい生活が幕を上げることになりました。
▲車通りの多い通り沿いに面しているお寺です
地域に支えられて
2015(平成27)年4月から妙秀寺の住職としておつとめを始めた浅野さん。
「地域のことや檀家さんのことなど、始めは分からないことばかりで戸惑いました。家族と一緒に悩んだ時期もありましたね。
それでも、家族はもちろん、地域の人や檀家さんに助けられてここまでこられたことに今は感謝の気持ちでいっぱいです」
知らない土地でのおつとめがどれほど大変なのかを思い知らされた浅野さんは、分からないながらもお寺を綺麗に保つこと、檀家さんや地域の人との交流を大切することなどを守りながら歩んできたと言います。
そして、もっと学び、もっと広くそして、深く仏教を広めていきたいと思うように自身の心が変化していったことを教えてくれました。
坊主道との出会いで更に加速した仏教愛
坊主道との出会いもこの頃のこと。
出会いからすぐ、2017年に山梨県にて開催された「未来の住職塾」にも参加しました。
このように、同じ地域に住む住職同士との交流にも積極的に足を運んでいったのです。
「坊主道との出会いで、自分だけでは分からなかったこと、見えていなかった視点など、多くのことを学びました。
現在もやり方や向き合い方など、日々様々なことを教えてもらっています。
本当に尊敬できる方々ばかりです」
浅野さんは、坊主道との出会いが自身の気持ちを大きく変えてくれたことを話してくれました。
▲地域の人や檀家さんと同じ時間を過ごすことも増えています
身で実践する場をつくること
地域にある小さなお寺にできることは限られているのかもしれません。
それでも妙秀寺が、少しずつ人と人が繋がる場所になっていることは確かな事実。
訪れたこの日も「写経会」が初めて開催されていました。
本堂の入り口に小さく貼り出された告知だったにも関わらず、時間になるとポツリポツリと人が集まり、一文字ずつ丁寧にお経を書き写す場所にお釈迦様の存在を感じたように思います。
▲写経会の様子。和やかな雰囲気
▲皆さん静かに丁寧に文字を書いていました
▲お茶を飲む時間も大切にしています
「人を呼ぶために楽しいイベントをすることも考えました。
でもまず自分が出来ることとして、信じる心を実践できる場所をつくることが優先なのではないかと考えたのです。
住職であるからこそできることを小さくても長く続けていけたら良いなと思っています」
浅野さんの暮らしの中に、仏教やお寺が普通にあったように、誰かの普通であり続けるお寺でありたいと願う浅野さん。
本堂と水子供養塔、永代供養墓のある小さなお寺・妙秀寺は、これからも一歩一歩、地域に溶け込み、誰かの普通のお寺になっていくのでしょう。
▲御本尊
▲入ってすぐ右手には、水子供養塔があります
▲とても綺麗に管理された永代供養墓もあります
日蓮宗長徳山 妙秀寺
山梨県甲斐市龍地6522
0551-28-2477