ご利益寺を巡ろう!1300年の時の流れを語り伝える「松本山 大蔵経寺」には 底知れぬパワーが秘められていた
1300年もの歴史が息づく大蔵経寺
▲中央に鎮座するのは御本尊の「不動明王座像」
山梨百名山に選ばれている「大蔵経寺山」は、石和温泉駅の後方に聳える山。その麓にある「真言宗智山派 松本山大蔵経寺(だいぞうきょうじ)」は、奈良時代の養老6(722)年に法相宗の行基菩薩を開祖として創建された、山梨で最も古いといわれている大善寺と並び、古来からこの地で信仰されてきた由緒正しきお寺です。
また、大蔵経寺の裏手には「物部神社」が奉られています。物部」と言えば、大和朝廷(やまとちょうてい)の軍事・警察のことをつかさどる強大な伴造(とものみやつこ)氏族の「物部氏」が有名です。その「物部氏」に由来する神社で、大蔵経寺は、物部神社の神宮寺だったそうなので、その歴史の深さは物部神社からも伝わってきます。
このように大昔からあった大蔵経寺の歴史は1300年余り。時代と共にさまざまな出来事にも遭遇してきたそうです。その歴史をご住職である井上秀典(しゅうてん)さんにお聞きしました。
▲37世の井上ご住職は実は大善寺がご実家だそう
時は応安3(1370)年。鎌倉と室町時代に挟まれる南北朝時代、将軍足利義満の命により、親交のあった武田信成が七堂伽藍を建立。義満の庶子・観道が入山し、大蔵経を奉納。天台宗から真言宗へと改宗され大蔵経寺と名乗り始めたそうです。そしてこの時から武田家の祈願寺になったそうです。
当時は、石和温泉駅南口、イオンがある辺りに総門があったとされ、その証拠に、昔その周辺は三門(みかど)と呼ばれる地名だったとか。
▲現在の本堂は江戸後期に建立
戦国時代の武将に愛されたお寺
永正13年(1516年)、武田信虎と駿河勢との「万力の合戦」で、今川家に焼かれ、その後に復興。
信玄の越後攻め、川中島の合戦で戦勝祈願したと言われる武田家の守護尊である「将軍地蔵」も所蔵しています。
▲本堂の中に祀られている「将軍地蔵」
▲御真言も記されています
戦国時代には今川家と織田信長に狙われ2回も焼失されたそうです(実際は平安末期も含め計5回焼け出されています)さらに、武田家が滅びた後、祈願寺にしたのが徳川家康だったと言われ、徳川家康秘蔵の「三面大黒天」や「権現堂厨子」などの貴重な宝物が残されているため、武田菱と葵の紋2つの家紋を見ることができるそうです。
▲「御成門」は現在は通ることができないそうです
▲その「御成門」に葵の紋が入っています
また、第2代将軍・徳川秀忠は大蔵経寺の裏山に日光東照宮を建立。しかし、これも元禄の時代に焼失されてしまったそうです。
▲枯山水(覚さとりの庭)の後方に東照宮があったそう
武田信玄、徳川家康、2人の戦国武将に信仰された大蔵経寺には、どんなご利益があるのでしょうか?
「本来、お寺というものは多くの人が出入りする場所なのですよ。寺子屋といわれ学校の役割や村の人たちの相談に乗る場所でもあったり、気を落とす場所であったり、安らぎの場所でありました。お釈迦様の教えを広めていくと同時に俗世界の汚れを清めるためにお寺は存在していました。汚れ(けがれ)=気枯れなんですよ」とご住職がお話してくれました。
そして「祈願寺」というのは気が強い場所にもうけられていたこともあり「ここはものすごいパワースポットなんですよ」と言います。
なんでも、知る人ぞ知るパワースポットの穴場的存在だと言います。
大蔵経寺には三面大黒天や将軍菩薩像など数多くの仏像や仏画が鎮座されています。
心の迷いを取り除き、どんなものでも救うために厳しい忿怒(ふんぬ)の顔をされているご本尊の「不動明王座像」や暗黒王でその後仏教に帰依された大黒天など、その姿は雄々しく、力強さを感じることができます。他にも県指定文化財である
愛染明王と不動明王の顔を併せ持つ双頭の図像「絹本著色両頭愛染明王像」。
不動明王と矜羯羅(こんがら)、制た迦二童子の坐像と立像「絹本著色不動明王ニ童子像」。
騎獅の不動明王が八大童子を従えている「絹本著色騎獅不動明王八大童子像」などがあるそうです。
▲こちらにも御真言が書かれています
また、国指定重要文化財として80年の生涯を終え、入滅していく釈迦の様子を描いた「絹本著色仏涅槃図(けんぽんちゃくしょくぶつねはんず)や、
住職自らが「佛画寺」と名付けた通り、「西海照雄」氏の作品がそこかしこに飾られています。作品は優に100画を超え、うち50作品ほどが展示されています。
▲レプリカが飾られています
息を飲むほど美しく繊細な仏画の数々
この仏画、西海さんの作品をある企業が寄贈したことから始まりましたが、当の本人もこの大蔵経寺をとても気に入ったことから、多くの作品が寄贈されているそう。
「西海さんは描く時一心不乱に描くんですね。実は2018年4月にお亡くなりになってしまったのですが、余命3年と宣告されていたところ11年も生き延びていた方なんです。それだけパワーがある方なので、私が仏画の前で唱えると御霊が入るのが分かるんです。それだけ西海さんの絵にはパワーはあるんですよ」。
まだ世にはあまり「西海照雄」という名前は知られていないというご住職、「西海さんの作品はこれから注目されると思っています」と胸を張ります。
▲「昇華鳳凰」
▲「釈迦三尊」
▲展示の入れ替えがあるそうです
▲拝観料300円で観ることができます
西海氏の強い御霊が入った仏画のパワーなのか、祈願寺であったパワーなのか。武田家・徳川家のパワーなのか?わかりませんが「中にはこの寺にまったく縁がない方もいらっしゃいます。踏み入ることができない方が」と、中には近づけない方もいらっしゃるとか。
▲一番パワーが強いとご住職が教えてくれた「龍の天井画」
良く言えば、大蔵経寺を訪れることができた方は、選ばれし者ということです。
▲恩師からのご縁でこのお寺の存続の危機を知り自ら現在の整備された立派なお寺にしていったそうです
古くから言い伝えられ、戦国武将たちに崇拝された大蔵経寺。目に見えない特別な力、英気を養えるパワースポットとして、時を遥かに経ても祈りを捧げる聖地として多くの人々を惹きつけています。
▲迫力のある山門が目印
真言宗智山派
松本山大蔵経寺
山梨県笛吹市石和町松本610
055-262-2100