新連載 カレー坊主ノート「カレー坊主のひとりごと」
【新連載カレー坊主ノート「カレー坊主のひとりごと」】
特に取り柄もない平凡な僧侶である自分が、Twitterで「カレー坊主」というふざけた名前で活動を始めて約1年半が経とうとしている。
どうせ誰も見ていないだろう。
そんな軽い気持ちで、カレー坊主を名乗り始めた。
人生とは、良くも悪くも思い通りにはならない。
気づけばTwitterでフォロワーは増え続け、新聞やメディアにも取り上げられ、いつの間にか仏教界でも「カレーの人」として認知され始めている。
どういうことだ。
ただ、これだけは言える。
みんな、カレーが好きなのだ。
そんなカレーのご縁で、今回より「カレー坊主ノート」という連載が始まる。
カレーと仏教を通じて自分なりに気づいたことをノートに書き留めるように綴っていきたいと思う。
【カレーってなに?】
早速だが、
みなさんカレーはお好きだろうか?
もちろん、私もカレーが大好きだ。
カレーを食べすぎて、体からカレー臭がするほどに。
35歳を迎えた今、加齢臭もしている。
冗談はさておき、
今や日本人の国民食と言われるカレー、嫌いな人は少ないだろうし、食べたことがないという人はほとんどいないだろう。
「カレー」と言われてどんなカレーを想像するだろうか?
ビーフカレー、チキンカレー?
お店のカレー、お母さんが作ったカレー?
甘口のカレー、辛口のカレー?
それぞれの眼・鼻・舌が覚えているカレーの景色は様々だ。
その通り、カレーは世の中に種類も味も数え切れないくらいに存在する。
そうすると「そもそも、カレーとは一体なんだろう?」という素朴な疑問が湧いてくる。
インドのサラサラの激辛スープみたいなカレーと、リンゴとハチミツが溶け込んだドロッとした甘いバーモントカレーは同じ「カレー」だが、もはや別の料理と言っても過言ではない。
日本に初めて来たインド人が、日本のカレーを食べて「この美味しい料理はいったい何という料理ですか?」と訊いたという笑い話さえある。
「カレーとは」とGoogle検索すると「肉・野菜などにさまざまな香辛料の風味をきかせて調理した、辛味の強い南アジア発祥の料理」と書かれていた。
うん、すごく、ざっくりした説明。
なるほど、だからこそカレーという料理の振り幅は果てしなく大きい。
【カレーは般若心経だった】
材料、スパイス、調理法、食べる人、それが一時的に組み合わさって出来上がるその料理を「カレー」と呼ぶ。
そういう意味で、同じカレーは存在しない。
不変なカレーも存在しない。
カレーの正体、実体は誰も知らない。
誰もが「カレー」を知っているが、
誰も「これこそがカレーだ!」と言える、真のカレーを知らないのだ!
なんということだろう。
存在しているのに、実体がない。
ああ…
なんということだ。
これはまるで仏教でいうところの「空(くう)」そのものじゃないか。
※色即是空。
カレー即是空。
世界はすべてカレーと仏教で説けるかもしれない。
カレーを食べるたびに、この世界の真理に近づいていくことが出来るのだろうか。
カレー坊主として進むべき道が見えた気がした。
…つづく。
※色即是空(しきそくぜくう)とは、般若心経の有名な一節。この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空(くう)であり、不変のものではないという意。