お寺のタマゴ

お寺のタマゴ

【お寺はじめました】

私がなんで新しいお寺を作ろうと思ったのか。
その前に、そもそも一般家庭に生まれた私が、なんでお坊さんになろうと思ったのか。
そこからお話しをさせていただきます。

日本のお坊さんはお寺生まれの方が割合として非常に多く、一般家庭(在家という言い方をします)出身者は少数派です。
周囲の在家出身僧侶を見ると、わざわざ好き好んでお坊さんになったぐらいなので、非常にやる気があったりマジメだったりという方が多くいらっしゃいます。

私もモチロン!
……と言いたいところですが、私の場合は親戚がお寺に嫁いだことがキッカケで、社会人になってしばらく後に「お坊さんにならないか」と誘われ、しばらく悩んだもののひとつの職業としてお寺に入ることにしたという、なんだかフワッとしたスタートでした。

また浄土真宗は他の宗派のように一定期間本山で厳しい修行をするということが無いので、私は「就職」したお寺で「業務」のように掃除をしたり事務仕事をしたり法事や通夜葬儀をしたりと過ごしていました。

【新たな学び】

転機が訪れたのはお寺で働き始めてから4年後、東京都中央区にある築地本願寺の中に東京仏教学院という学びの場があり、そこに1年通ったことでした。
それまでは「業務」としてお寺の仕事をこなしていた私でしたが、仏教学院の熱意あふれる先生がた(皆さんお坊さんです)と接し、僧侶はお経を上げるだけが仕事じゃないんだ、仏教を伝えることこそが僧侶の存在意義なんだ! そもそも僧侶は職業ではなく生き方なんだ! と思うようになりました。

また仏教学院の授業のひとつに「都市開教」がありました。
これは都市部での新規寺院設立に関する授業で、それまではどこかのお寺の養子になるしか住職になる道は無いと思っていた私にとって、驚くべき内容でした。

この時の驚きが私の中にずっと残っており、また自分なりに仏教を伝えたいという思いが強くなっていき、ついに都市開教を決意しました。

まずは物件探しです。
授業では「最初は借家でスタートするのが一般的ですが、お寺として使いたいと言うとだいたい断られるので、何軒も不動産屋さんを回ることになりますよ」と聞いていました。

ですので当時住んでいたアパートの近くに借家を見つけた時も、「どうせ断られるだろう」と軽い気持ちで管理会社に問い合わせたのですが、あっさり「大家さんからOKが出ました」と返事が来ました。

中古の一般家屋でしたが、もともと道に面した14畳ほどの部屋がお店になっていたようで、そこを本堂…と言うにはあまりにも狭いので「お寺のタマゴ」と称して、ささやかな都市開教がスタートしました。

坊守(妻)と考えた名前は「なごみ庵」。
「寺」よりも親しみやすく、また来てくれる人が和むような場になるようにという願いを込めました。

結婚記念日と同じ4月6日が開所式、そして翌日の4月7日に初めての行事として法話会を開くことにしました。
こんな得体のしれない場所に、どなたかやって来てくださるのでしょうか?