ご利益寺を巡ろう!甲斐の国の軌跡を辿る「甲斐国分寺」のご利益とは
人々を病や災いから救うために建立されたお寺
今から1300年前。奈良の時代、天然痘が流行ったそうです。
多くの人の苦しみを救うには、仏教しかないと考えた、ときの天皇である聖武天皇は、全国に国分寺と国分尼寺を造営しました。
山梨では天平13(741)年、一宮町の地に、天皇が直接命令して建てた由緒あるお寺として「甲斐国分寺」が創建されました。
創建当初は、金堂・講堂など、壮大な伽羅を誇る官寺として栄えたそうです。その証拠として、七重の塔(五重という説も)は、40mを超えていたと推測され、御坂峠からも眺められ、甲府盆地の中にドンと構えていたと言うので、いにしえの都が想像できますね。
つまり、この地域が古代甲斐の国の中心地だったということがわかります。
▲再建前の山門(鐘楼門)
しかし、平安中期以降、国の衰退と共に甲斐国分寺もだんだんと勢いが衰えていきます。
鎌倉時代(建長7年)には、戦ですべての建物が焼かれ、その後再建されたものの、室町時代になると寺領が失いつつある状態にまでなり、お寺として機能していないほど寂びれていったのでした。
武田信玄の手により再建された甲斐国分寺
時は過ぎ、再建に着手したのは武田信玄でありました。
信玄は、甲斐の国にとって大事な寺だから守っていかなければと、寺領を差し出し小庵を建て、三条夫人(信玄の正室)の叔父にあたる甲府・法泉寺の13世が、初代住職として招きました。
その後、江戸中期から後期にかけて、薬師堂や本堂などが建立され、お寺としての機能を取り戻していきました。
旧境内や周辺では、古代国分寺の遺構などが発見され、大正11年「甲斐国分寺跡」として、隣接する「甲斐国分尼寺跡」も歴史的建造物として、国の指定を受け、地域の人々から親しまれています。
▲本堂
▲庫裡
史跡と歴史を守るために移転
「この辺りは、平成の6.7年前後まで土葬だったこともあり、墓地や史跡が荒らされました。それで貴重な文化財、史跡を保存・整備するという壮大なプロジェクトが立ち上がったわけです」と、昭和57年、史跡保存整備事業が本格化。
18世にあたる芦田宗興住職は、先代から引き継いだばかりの30歳そこそこという若さで、このプロジェクトの渦中に飛び込んだそう。
「責任の重さと自身の非力さに途方に暮れて立ち尽くすことも何度もありました。しかし、その都度素晴らしい縁に恵まれました」と話してくれました。
▲物腰が柔らかく、一つひとつ丁寧に説明してくださった芦田宗興ご住職は18世。ただし、奈良・室町時代は記録がはっきりないため、信玄公の時代から数えて18代となるそう
古すぎて使い物にならないと思っていたお寺を専門家に見てもらい
「山梨の貴重な文化財、これを取り壊すなんてとんでもない。歴史が一瞬で失われてしまう」。
こう言われたのをきっかけに、一度解体してから、もう一度組んで再築することを決意。10年という年月をかけて移築したそうです。
「工事中には発掘調査も行って、縄文時代の埋蔵文化財や平安時代の住居跡も出てきたんですよ」
▲本堂の廊下にある板戸には、元禄時代に描かれたと思われるにわとりや獅子の絵が!歴史を物語っていますね
33年もの間、開けることができない扉の向こうには…
今は、新たな歴史を刻み、多くの人に安らぎを与えている甲斐国分寺。
その安らぎのひとつに「ご利益があるかもしれない」と言われている仏像があるとご住職が教えてくれました。
その仏像とは、「元々、天然痘から人を救うために建立されたわけですから、病気や長寿にご利益があると言われています」と、薬師堂に安置されている薬師如来像のことです。
▲山門を入って、すぐ左手にある薬師堂
この薬師如来像は、33年に一度御開帳される秘仏だそう。前回の御開帳は「偶然にも、プロジェクトがすべて完了した平成22年でした」とのことなので、次回は令和24年。
あと23年も待たないと「薬師如来」を観ることがはできませんが、薬師堂には、薬師如来の眷属で、十二支を頭に戴いている十二神将像が安置され、発掘調査で出てきた古来の瓦も展示されていて、歴史を肌で感じ取れる神聖な場所となっています。
▲33年間、開けられない扉の向こうには、薬師如来像が安置されている
▲今回、ご住職のご厚意で秘仏である薬師如来の写真を提供いただきました。本来なら、あと20数年は会うことができない貴重な仏様です
▲十二神将像。自分の干支を探してみてください
▲文様を施した「軒丸瓦」も展示されています
また、本堂には阿弥陀如来座像が神々しく鎮座していますので、こちらもお見逃しなく。
▲本堂の阿弥陀如来座像。頭に冠を乗せた珍しい如来様だそう
合掌庭園と点在する仏さま。もうひとつのご利益
キレイに整えられた庭を見渡すと、数々の仏像が点在していることに気付きます。
その中の1つにご利益があると言われている仏様があるそう。
「法雲さんと呼ばれて親しまれているお地蔵さんがあるのですが、この仏様の腰や頭など、ご自分の痛い箇所をなでると良くなってくると言う方もいらっしゃいます」
この仏像を持ち上げると、薬師経が一文字一文字書かれた石が埋まっているそうです。これもパワーの一つなのかもしれませんね。
▲人が合掌している姿のように見えることから「合掌庭園」と名付けられています
▲キレイに整備された庭園
▲大黒天さまも祀られています
▲こちらが法雲さんと呼ばれて親しまれているお地蔵さま。江戸末期のご住職の名前だそう
▲いつでも気軽にお越しくださいと微笑むご住職
数奇の運命を辿り、蘇った甲斐の国の都。その中心であった「甲斐国分寺」は、1300年に渡り、私たちの生活を見守り続けています。
薬師如来像の御開帳まで、あと23年。
その時またお会いしましょう。
護国山 甲斐國分寺
山梨県笛吹市一宮町国分196
0553-47-0902