YOGAを伝えることで見えてきた仏教との共通性 PART1
みなさまはじめまして。竹田夕子と申します。
ご縁が繋がりこれからここ「お寺のじかん」で、ポチポチとコラムを投稿していくことになりました。
わたしは現在山梨県を中心にYOGAを伝えることやボディワークをお仕事としていますが、お仕事も人生も境目なく興味の赴くままに自由にいろんな扉を開き、いろんなことをやっています。
そんな私が仏教に興味を持ったのは、やはりYOGAと仏教の共通性を感じたからです。
YOGAの学びを深めていくほどに、こころの在り方や人の在り方に向き合うようになります、そしてここを深めていくと無我・空などの概念に近づいていくような気がしているのです。
これからつぶやいていくコラムのカテゴリーは「仏教を知る・学ぶ」。
今のわたしはYOGAも仏教も人の在り方・ 生きる道に関しての智慧や実践哲学だと思っているので、それらの哲学・宗教性を通して私が日々の中で感じたり思ったりしたことを、時にマニアックに&時におもしろく、お伝えできたら良いなーと思っています。
現在1ヶ月に1回のペースでお寺にて過ごす時間があり、そこで「仏教を人生に活かす」を学んでいます。
仏教についてはほぼほぼ何も知らない私ですが、私たち日本人の血脈のようなものの中に、仏教というか宗教性が、ほのかにかつ深く潜んでいることは知っています。
ですから仏教について学ぶたびに、安心する真髄に近づく感覚があり、心地よい実感に満たされます。
YOGAと一緒です。
シンプルですから、心地よいですよね。
先日の勉強会では「四門出遊」(しもんしゅつゆう)のお話を聞きました。
お釈迦さまの一生を追っていると「四門出遊」という、お釈迦さまが出家をするきっかけとなったエピソードが出てきます。
お釈迦さまの出家の動機は「生老病死」の四苦に出会ったからだと言われています。(四苦八苦の四苦)
お釈迦さまが「天上・天下唯我独尊」と言い、7歩歩いた生誕の時から始まります。
お釈迦さまって、スーパーベイビー!
いや、もはやベイビーの姿をした仏です。
そんなお釈迦さまが成長するにつれて、インドの小さな国の王であるお父様は策略を企て、お城の中で欲にまみれまくった酒池肉林の生活をお釈迦さまに与えたそうです。
何故そのような生活を与えたかというと、自分の跡継ぎである王子が、ある占い師によるとこのままでは国を継がず出家し、このままではブッダ(悟りを得た者・真理を得た存在)になっていくという予言があったからだったそうです。
私だったらそんな欲にまみれた生活、心底嫌だなーなんて思いました。
自分がヘドロにまみれていくのと同じような感じ。
そんなある時、お釈迦さまはお城の4つの門から出掛けていきます。
東の門
南の門
西の門
北の門
東・南・西の門から出掛けた時に、お釈迦さまは「老人・病人・死人」に出会います。
北の門から出掛けた時には、出家者と出会います。
「老人・病人・死人」と出会った時、「なんと嫌なことか」とお釈迦さまは言ったそうです。
それは「老人・病人・死人」そのものが嫌だという訳ではなく、「老・病・死」という現象そのものに向き合っていない自分に対する嫌悪感からではないか、と解釈されているそうです。
「なんと嫌なことか」は、自分に対しての言葉だったんですね。それは老いること、病になること、そして死ぬこと。人間にとって避けられないこの「老・病・死」と自分自身がどう向き合うか、それが出来ていない自分への嫌悪なのだと思います。
そしてお釈迦さまは、最後に出家者と出会った時には、その清廉さに憧れを抱きます。
それから時が過ぎていき、お釈迦さまが結婚をし、息子が生まれ、後継がいることを確認してから、彼はお城を出て出家をします。
出家をするということは、人に在らざるものになる、という意味だそうです。
タイミングをみてお城を出て行けて良かったねー!ヘドロにまみれた自分なんて、重くて苦しい。
ここまでのストーリーで私は、これはまるで私たち人間の生い立ちというか成長の過程と同じみたいだなーと感じました。
お母さんのお腹の中から生まれ出た時はみんな、絶対的で純粋な存在である私たち。
「天上天下唯我独尊」とはいかなくても、純粋そのものですよね。
それが時を重ね、成長し、物事を知り、様々なことを経験する中でその純粋さは埃をかぶっていく。濁り汚れていきます。
それが人生のあるタイミングで「気づき」を得て、出家とはいかなくてもお城を出て歩き始める。
例え「気づき」を得ても、またお城の中に入るかもしれない。
これまでの過去の積み重ねで成り立っている「今」(厳密に言うと過去の)自分は安心だし、恒常性(元に戻ろうとする力)が働くので、いつものところに戻りたくなりますもんね。
釈尊が4回目に気づいたのだから、きっと私たちはもっと何回も何回も何回もお城に戻り、出遊をして、気づきを重ねていくのかもしれません。
そしてきっといつかは、お城を出ていくことが出来るんでしょうね。
そんな人生は全てまるっと、おもしろいんだと思います。