寺とはじめてと私

寺とはじめてと私

こんにちは、パピコです。

今回はお寺のじかんにコラムを載せてもらえるとのことで、頑張ります!

さて、いきなりあいさつから入りましたが、(パピコってなんぞや?)(アイス?)との疑問が宙を舞っているではないでしょうか?
パピコはパピコです。
ペーンネームみたいなものと考えてください。

身分を明かすと私は山梨大学の学生です。
そろそろ卒業です。

しかも仏の道に進んでいるわけでもありません。
そんなしがない学生である私がなぜ記事を書いているのか、今回はこれについて綴っていこうと思います。

私がSOCIALTEMPLEと出会ったのは大学一年生のころのことでした。
当時はSOCIALTEMPLEという名前もなく、お寺での食育やふれあいを目的とした活動をしたいお坊さんの集まりでした。
ちょうど今の寺GO飯の前身活動ですね。

この際に、お坊さんのみでは子どもとの活動が難しいとのことだったので、地元の大学生に声をかけていたそうです。

子どもとのボランティア活動を行っていた私は、先輩伝手に声をかけられてホイホイ参加してみることにしました。

初めての顔合わせは面を食らいました。

先輩の車に乗せられ、着いたお寺には大柄な男性が何人も座っていられました。
もちろん頭はスキンヘッドや坊主頭。

※イメージ画像

 

このようなところに載せる記事にふさわしくないかもしれませんが、お坊さんというのは見慣れない人から見ると怖いものです。
ましてやこちらは18歳の若造。
お坊さんなんて実家の法事でしか会いません。

普段関わらない人たちの登場に(間違えちゃったかな…)そんな考えがよぎりました。
ですが、任せられたからにはきちんとやります。

子どもとのボランティア活動だって楽しくて始めたものですから続けようかと考えていました。

それから活動を続けているといろいろな発見がありました。
お坊さんもいろんな人がいて、それぞれの信条で活動していること。
教えを広めることが目的でなく手段であり、地域交流を主としていること。

案外俗っぽいこと。

昔、考えていた異世界の人という考えはもうありません。
ちゃんと足をつけて活動している人たちだと思います。

あれから4年。
現在、私はSOCIALTEMPLEのインターン生として迎えられ、コラム記事作成に四苦八苦しています。

最近は考えが凝り固まっている節があるので、見習いからやり直す気持ちで活動に精を出したいと思います。

末筆ではございますがコロナ禍の大変な時期はまだまだ長引いてしまいそうでしょうが、いち早く終息を迎えられることを願っています。