横山瑞法の別に危なくない法話  vol.0

横山瑞法の別に危なくない法話 vol.0

横山瑞法の別に危なくない法話

まだ坊さんになりたての20代前半のころ。
僕は法事後の御斎(おとき:法事の後の食事の席)で、分不相応な一番上座の席に座っていた。
なんとも言えない居心地の悪さを感じながら食事をしていると、10代であろう女の子2人の姉妹が僕の席までやってきた。
きっと、祖父母か親から「ご挨拶に行きなさい」と言われて仕方なしに来たのだろう。
しかし、彼女らは僕の想像とはウラハラに笑顔でやってきた。
そして、僕は彼女たちから思いもよらない、忘れられない言葉を投げかけられた。

 

「妻夫木聡に似てますね!」

 

率直に驚いた。そんなことはそれまで言われたことがなかったからだ。後にも先にも一度も言われたことがない。この日は僕の顔面の調子が確変で人生のダントツピークだったんだと思う。それにしてもよく言い過ぎだ。
ちなみに、この言葉で僕はその後3年間くらい調子に乗った。

 

…。

 

いや、ここで本当に伝えたかったのはこれではない。
その後に続いたこの言葉だ。

 

「若いお坊さんっているんですね!」

 

当時の僕は心の中で「当たり前じゃないか」と思い、反射的に笑った。しかし、しばらく経ってから、これはそんなに笑えない話だなと思いなおしたのだった。

 

風景でさえもなかった若い坊主

一連のオウム真理教事件の後、とあるオウム信者が

「日本のお寺は、風景に過ぎなかった」

と言ったという。

しかし、彼女たちにとっては

「日本の若いお坊さんは、風景でさえも無かった」

もしかしたら、彼女たちにとってはお寺でさえも風景でなく、あまりリアリティのないイメージとしてお墓と古い日本建築、そして年老いた僧侶の姿が存在するだけなのかもしれない。
若い坊さんはUMA(未確認生物)だったのだ。

そんな出来事から、寺と僧侶としての自分にあいまいな危機感を感じたのだった。
しかし僕は、それに対して「どうにかしなければ」との強い意志とか問題意識を生じるでもなく、故に具体的なアクションをおこす訳でもなく過ごした。無為に過ごした。

そして、僕は結婚して就職して兼業僧侶となった。
サラリーマン的に月20日、1日8時間労働に汗を流し、休日は法事などの法務と地元消防団の活動、そして家族との時間で精一杯だった。

そんな中でも出会いと仲間に恵まれて、ここ数年は坊主道やソーシャルテンプル、未来の住職塾の繋がりで色々な活動に携わることができるようになってきた。
また、寺を預かる住職になり、勤めを退職し時間的な余裕もできるようになり、自坊での活動も少しずつチャレンジできるようになってきた。
宗派も業界も越えた出会いの中で、あの時の曖昧な危機感が少しずつ行動に変わっていった。

そして、気がつくと30代も終わり、若い坊さんではなくなってしまった。(業界的にはまだまだ若手の年齢ではある)
まだまだ何もやりきれてはいないけれど、あの時の彼女たちにとっての風景くらいにはなれただろうか。
どうだろうか。

 

別に危なくない法話

以前、ネット上でとある出来事があり(これについてはいつか記事で書くかもしれない)、それ以降、ネットでの発信は告知中心の波風たちそうも無いものを心掛けていた。あまり色々なことを考えながら発信するのもストレスなので、そもそもの発信量も少なくなっていた。
そんな期間がここ数年続いていたのだが、そろそろなにかやってみたい気分になってきた。

時代を考えるとYoutubeやTikTokのような動画コンテンツでお伝えするのが時流をつかんだやり方なのだろう。しかし、自分の顔面をみながら映像を編集するとか、僕にとっては苦行すぎる。かと言ってTwitterのように書いては流れていってしまうものも気乗りがしないし、おそらく向いていない。そのおおよそ中間くらいをとって、自分にほどよい負荷があるテキスト記事として、ここお寺のじかんに連載することにした。

最初に言い訳しておくがこの連載は、徹頭徹尾心に響く素晴らしい仏教のお話しを求めている人にはお勧めしない。
そういった方には、もうすでにネット上には素晴らしいコンテンツが、たくさんあるのでそちらをおススメめしたい。

ちなみに、僕のおススメは、臨済宗大本山円覚寺のYoutubeチャンネル(横田南嶺老師の法話が毎朝聴ける)と花園大学教授の佐々木閑先生のYoutubeチャンネルです。
他にも素晴らしいコンテンツはたくさんありますがこの2つが特にオススメです。僕も毎日のように視聴しています。

上記の2つをはじめネット上に多数の上質な仏教コンテンツがある状況で、田舎のポンコツ坊主の僕がオンラインで何ができるかと考えたら、いい話とかタメになる話をしようとか、仏教の教えをわかりやすく解説しようとかじゃないことはあきらかだ。(田舎のポンコツ坊主である僕のメインフィールドは寺の半径1キロメートルくらいのリアル空間だ)
間違いない。

この連載は未だ手がかりもつかめない「何か」を田舎のポンコツ坊主がインターネットの中で改めて探す過程である。

自分の内側から出てくるものを、どうにか皆さんにお見せできるくらいに整えて、とにかく定期的に出していきたいと思う。
質より量だ。
継続して書いてみれば、そこから何か見えるものがあるかもしれない。
そのことを頼りにまずはやってみる。

お寺のじかんは仏教お寺メディアである以上、仏教とお寺に結びつけるような内容を心掛けますが、タイトルに大々的に仏教的なお題を取り上げることはあまりしないかもしれない。日々の出来事を切り口にお寺や仏教の風味を添えるイメージ。
まずは風景くらいになれるような、そんなテイストでやっていきたい。
しかし、ここまで書いてみて自らの作文スキルの低さにすでに嫌気がさしはじめて、連載を続けていけるか一抹の不安がよぎっている。

 

あーだ、こーだ言うとりますが

と、連載開始にあたっての言い訳を長々と書きましたが、タイトルのとおり別に危ないことを書こうとしている訳ではないので、肩の力を抜いてやってみます。
よろしければお付き合いください。

この連載のタイトルは、好きなアーティストへのオマージュです。
まず気にもとめられないと思いますが、もし注意されたら速攻で変えます(笑)