テラ・テラ・ボーズ  -横山瑞法の別に危なくない法話 vol.1-

テラ・テラ・ボーズ -横山瑞法の別に危なくない法話 vol.1-

横山瑞法の別に危なくない法話 vol.1

長女が幼稚園に通いはじめてしばらくすると、色々な歌をおぼえて帰ってくるようになった。
毎日色々な歌を覚えてきては楽しそうに歌って聴かせてくれるのが僕の楽しみでもあった。
その中の1曲に

「テラ・テラ・ボーズ♪テラ・テラ・ボーズ♪」

という歌があった。
聴いたこともない歌だったが、長女は実に楽しそうにそのフレーズを繰り返し口ずさんでいた。
妻もその様子を笑顔で見ていた。

しかし、楽しそうな2人とはウラハラに僕はとても複雑な心境だった…。

「テラ・テラ・ボーズ♪テラ・テラ・ボーズ♪」

僕は気がついてしまったのだ。

「寺・寺・坊主♪寺・寺・坊主♪」

そう、長女は「自分の父親が坊さんであること」を「この歌に乗せてからかわれている」ということに。
自分の生家が寺で、父親が“坊さん”であることを友達に揶揄されているにもかかわらず、純真無垢で無邪気な我が娘は、そのことに気付かずに、笑顔で繰り返し歌っているのだ。

「テラ・テラ・ボーズ♪テラ・テラ・ボーズ♪」

長女がこの歌をうたうたび、僕は娘に対する切なさと申し訳なさが入り混じった思いで涙が出そうだった。いや、目からこそ出ていなかったが心では号泣していたのだった。

お寺が経営母体の幼稚園でもこのような悲劇が起こってしまうのか。(ちなみに僕も子どもの頃に通っていた)
幼稚園児くらいの子どもの社会でもこんなことが起きるんだと、僕は絶望に似た気持ちに苛まれていた。
からかわれているにも関わらず、自分に向けられたその好奇の目に気づかず、一緒になって楽しくうたう娘は、まわりの園児たちにはさぞ滑稽に見えているだろう。

喜劇と悲劇は紙一重なのだ。

そんなことを思っていると、小学生の時、友人に「お前んち線香臭くない」と言われて(ふかわりょうの小心者克服講座「お前んち天井低くない」の感じで)悲しくて悔しかった場面がフラッシュバックした。

「テラ・テラ・ボーズ♪テラ・テラ・ボーズ♪」

…。

ただ虚しくこのフレーズが頭の中をぐるぐると巡っていた。

いつかこの子が寺の子に生まれてしまった自分の運命を呪うようなことがないように、父であり坊さんである自分がしっかりしなければならないと強く決意した出来事だった。

子どもの頃の話

かく言う僕は、幼少期から学生時代にかけては寺に生まれたことを、恥ずかしいというか「なんとなく嫌だな」というぼんやりした思いを持ち続けていた。
日蓮宗の寺では毎年冬に「寒行」という、団扇太鼓を叩いて南無妙法蓮華経を唱えながら歩く行事がある。小学生の頃には半ば強制的にそれに参加させられ「友達に見られたらどうしよう」とビクビクしながら一緒に歩いている檀家のおばちゃん達の影に隠れながら歩いていた。

同級生にも寺の息子がいた。彼は小学生の頃からお経を読めた。
クラスで飼っていたハムスターが死んでしまった時には、みんなでお墓を作った後に彼がお経をあげていた。
曹洞宗の寺の息子だったので、おそらく般若心経を読んでいたんだろう。「ぎゃーてーぎゃーて」って言っていた気がしなくもない。
「あいつ、よくやるなぁ」と思いながら、なんとなく居心地の悪い僕は、一番後ろのうさぎ小屋の影からその様子を眺めていた。

子どもながらに「あいつは坊主の息子として生まれたことを肯定してるし、寺を継ぐ気なんだな」と思うと同時に、みんなの前でお経まで読むなんて割り切れている感じが、中途半端に恥ずかしさを感じながら寒行に参加している僕とは違って少しうらやましくも思えた。

聞くところによるとその彼もストレートに坊さんになったのではなく、紆余曲折あったようだが、今は生まれた寺で坊さんをやっているようだ。(宗派が違うので近くだけど普段全く会わない)

僕はというと、「坊さんにはならない」と理系の大学に進むも、説明するまでもなく今は坊さんをやっている。
数年前に法源寺・林應寺の2ヶ寺の住職になり、一昨年に兼業していた勤め先も退職し専業坊主だ。
名実ともに「寺・寺・坊主」だ。

良い縁と仲間にも恵まれて、ソーシャルテンプルや坊主道の活動ができているし、こうやって文章も書かせてもらっている。
最近は、寺に生まれて仏教と出会い、坊さんになって良かったとも思っているし、もはや他のことは自分にはできないのではと思いはじめてもいる。
まだまだ道の半ばではあるけれど、おかげさまでこれからも前を向いて「寺・寺・坊主」をやっていけそうだ。

 

生まれることは「苦」だった

人間のさけられない苦しみ、四苦(生老病死)の最初は「生まれること」だ。
思い通りに生まれることはできない。
今風に言うと生まれることは“ガチャ”だ。
何が出てくるかも分からないし、出すためのレバーも自分で回すことはできない。
それなのに出てきてしまう。

けれど、レバーが回って出てきたものをどうするかは、自分自身に問われている。
捨てる道もあれば、活かす道もある。
どちらを選んでもいい。
大切なのは選んだ道をよき縁としていく努力をすることだ。

今は小学校高学年になった娘にそんな話をしてみようと思う。

さあ、みんなで前を向いて歌おうじゃないか!

「テラ・テラ・ボーズ♪テラ・テラ・ボーズ♪」

「テラ・テラ・ボーズ♪テラ・テラ・ボーズ♪」

 

後日談で、「テラ・テラ・ホーズ♪テラ・テラ・ホーズ♪」は当時流行していた妖怪ウォッチの「ゲラゲラポーのうた」だったことが判明して、僕はほっと胸を撫で下ろしたのだった。

 

おしまい。