歯医者にて-横山瑞法の別に危なくない法話 vol.2-

歯医者にて-横山瑞法の別に危なくない法話 vol.2-

歯医者にて

ここ最近、歯医者に通い詰めている。
20歳くらいの時に親知らずの治療で悲惨な目に遭って以来、どうも足が向かない場所だが、子どもの受診をきっかけに通いはじめた。
数年ぶりに口の中を調べてもらうと、いくつか治療した方がいい箇所がみつかった。

先日は、その20歳の時以来で麻酔をしての治療だった。

当時の倍の年齢になっているし「最近の歯医者は痛くない」とか、きいていたけれど、いざ診療台の上に乗ると、やはり身体に力が入った。笑
頭元にやってきた歯科医師先生との会話を、できるだけ平静を装って切り抜ける。
さあいよいよ麻酔!というタイミングで、衛生士さんが深呼吸を促すように、一定のリズムで肩を優しく叩いてくた。
しばらくそのリズムに合わせて呼吸をしていると、気持ちが落ち着いてきた。
やはり呼吸は大切なようだ。

そして、軽く刺すような痛みがあったのも束の間、その後、何箇所か刺されたのかもしれないが分からなかった。
そのまましばらく待たされた後、衛生士さんがやってきて。

「麻酔が効いたか確認します」

といわれたので、口を開けると患部周辺をなんか器具でふれられた。

「大丈夫ですか?」

と聞かれたが正直よく分からなかった。
しかし、大丈夫と聞かれると

「大丈夫です。」

と反射的に言ってしまう。
基本的に気が弱いのだ。

うっすらと不安な気持ちを抱えつつ、再び歯科医師先生がやってくるのを待つ。

穴が空いた緑色のタオル地の布を顔にかけられたところで覚悟が決まった。
緑色はやはり心が落ち着く。
多少痛くても取り乱しはしない。

だって僕はもう40歳だし、妻子もいる。なんたって、お寺の住職だ。

20歳の時の痛みや、100日の荒行に入った時に足の甲に穴が空いてる(お年寄りの床ずれの足版みたいなの)のに、我慢して正座をできていたことに比べれば、少しくらいの歯の痛みは耐えられるだろう。

耐えられるさ。

 

…。

 

そんな思いとは裏腹に身体には力が入る。

そうしている内に歯科医師先生がやってきた。
体格の良い先生だが、言葉かけが優しく説明も丁寧でとても好感が持てる。
改めて治療の説明を受けて、歯を削りはじめた。

 

…。

 

(あの音)

 

…。

 

「痛く無い!」というか「何も感じない!」

麻酔は成功していたのだった。
何も感じはしないけれど、気を抜いた次の瞬間には激痛に襲われるのではないかと恐怖を抱えながら口を開け続けた。

その間、およそ3分くらいだったか。
無事に歯を削る治療が終わった。
そして、うがいをするように促された。

うがいをしようとコップを口につけると、麻酔をした側の唇が麻痺していることに気がつく。
コップが当たっているはずなのに、全く感覚がなく、そこには自分の身体がないように感じられた。
そう感じながら口から水を吐き出そうとすると、麻痺側から少しこぼれ落ちてしまった。
ごめんなさい。

診療台に戻りながら患部側の唇を噛んでもなんの痛みもない。
今、ここを噛みちぎってもなんの痛みも感じないのかと思うと少し怖くなった。

「ある」という実感は「感じる」ことと直結している。

 

感じとれないものともつながっている

以前、高齢者福祉の業界で働いていたことがある。
脊椎損傷で下半身麻痺の方の支援をしたことがあるが、感覚がないが故に知らないうちに足をぶつけて怪我をしてしまったり、腰やお尻に褥瘡(じょくそう)ができてしまうことがある。
感覚がないが故に痛みを感じることができなくて、知らず知らずのうちに悪化させてしまう。そして、その傷が悪化して感染を起こすと、敗血症になって生命の危機に陥ることもある。
感覚がなくても、体は繋がっていて。
痛みはなくとも、傷は身体全体に影響を及ぼす。
感覚がないとはいえその部分は確かに自分自身の身体とは不可分の一部分で、痛みはなくとも自分自身の生命に関わる事態を起こしかねない。
だからこそ、感覚のない場所に対するケアはとても大切なことなのだ。

 

個体としての身体から、スケールを広げてこの地球はどうだろう。
同じことが言えるのではないか。

どうみても地球は1つで、宇宙からの写真を見ると国境の線などどこにも存在しない。

直接痛みを感じられないような遠い場所のことも、僕らに影響を持っているのだ。
また、逆も然りだ。

感じられないくらい遠くの痛みにも、僕らは無関係ではいられない。
感じられない見えない痛みや傷に目を向けて自らのこととして考えることが、未来の僕たちを助けることになっていく。

思考を宇宙目線に飛ばしてこれから続く治療の憂鬱を誤魔化しながら、まだ麻酔から覚めない口の中をカミカミして遊んでいた。

思い切り力任せに噛んでみたい衝動にかられるが止めておいた。
後で痛い目を見ることは分かりきっている。

 

治療はまだまだ続く。

あー、嫌だ。