坊主道と行く!〜甲斐善光寺御開帳編〜

坊主道と行く!〜甲斐善光寺御開帳編〜

【甲斐善光寺7年に1度の御開帳】

甲斐善光寺で行われている7年に1度の御開帳、秘仏善光寺如来をお参りさせていただきました!

【甲斐善光寺の歴史と善光寺如来】

甲斐善光寺の歴史と今回のメインである善光寺如来の説明を坊主道メンバー酒井玄暁さんに説明いただきました!

甲斐善光寺は川中島の合戦の折、長野善光寺の焼失を恐れ永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏・寺宝類を奉遷したことに始まります。

甲斐善光寺の正式名称は「定額山浄智院善光寺」です。
長野善光寺も全く同じ名称です。

なぜ同じ名称なのでしょうか?
それは460年前、川中島の合戦で戦場になってしまうことを恐れた武田信玄が、お寺も民家も全て甲府の地に移しました。
よって全て名前が同じなのです。

現在の金堂は武田信玄が創建当時のものではありません。江戸時代に焼失し、31年かけて1796年に再興したのが現在の金堂(こんどう)です。

山門と金堂は昭和30年に重要文化財に指定され、東日本最大級の木造建築です。

御本尊善光寺如来はいわゆる一光三尊式善光寺如来像で、在銘最古かつ例外的に大きな等身像として知られています。
中央にいるのが阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩です。
元々は長野善光寺の前立仏(※)として造立されたものです。

※前立仏(まえだちぶつ):普段公開されていない秘仏が収められている厨子や建物の前に置かれて、参拝者の秘仏の姿をしのばせる仏像のこと。


※甲斐善光寺HPより

善光寺如来造立にあたっては48,000人もの寄進を得たと言われています。

元々善光寺に安置されていた秘仏の善光寺如来は武田氏滅亡後、織田信長の手に渡り、その後徳川家康の手に渡ります。
そして、家康の夢枕に「甲府へ戻りたい」とお告げがあり、また甲斐善光寺へと戻ってきます。

豊臣秀吉が京都に方広寺というお寺を建てました。そこに(※)土の大仏を作りましたが地震により大仏が崩壊してしまいます。
※出典 善光寺ものがたり、山梨歴史美術シリーズ3甲斐善光寺

秀吉は「霊験新たかな御本尊を連れてこい」と家来に命を出します。
そこで甲斐善光寺の御本尊、秘仏の善光寺如来に白羽の矢がたち京都へ移ります。

京都へ善光寺如来が移った途端、秀吉は病に臥せます。

これは善光寺如来を移した祟りだということで、善光寺如来は長野の善光寺へ戻りそのまま現在に至ります。

そして、甲斐善光寺には前立仏だけ残り、現在は甲斐善光寺の御本尊として鎮座され現在に至ります。

【日本一の鳴き龍とお戒壇廻り】

酒井玄暁さんの説明を聞いたあとは鳴き龍とお戒壇巡りに向かいました!

金堂中陣天井には二頭の巨大な龍が描かれています。
ある一定の場所に立ち手を叩くと多重反響現象による共鳴が起こります。
この共鳴がまるで龍が鳴いている声のように聞こえます。


※善光寺HPより

この二頭の龍の作者は200年前の希斎という方の作です。
日本の名刹である善光寺の金堂に龍を描くほどの方がどういった方なのかは詳細は不明だそうです。

日光東照宮の鳴き龍が小火で半焼した際に、甲斐善光寺の泣き龍を参考に下絵を書き直したそうです。

それぞれ鳴き龍を体験した後はお戒壇廻りへ!

ここで事件が起こります、、、

お戒壇廻りは金堂下のすぐ先も見ないほどの真っ暗な通路を歩いて行き「鍵」を探し鍵に触れることによって、仏様と直接縁を結ぶことができます。

それぞれお戒壇廻りを終えた後、皆口々に「鍵触った?鍵あった?」と言い出しました。

しかし誰も触ったとも言わず頷きもしません。

どうやら全員逆走をしていたようです、、、

またお参りに来なさいよという仏様からのお言葉だと捉え一行は宝物館へ!

【教科書にも載っている?!善光寺宝物館】

坊主道メンバーでもある渡辺光順さんに宝物館を案内していただきました。

宝物館にはたくさんの仏像や絵画が展示されていました。
一際目を引く大きな仏像がありました
平安後期に作られた阿弥陀三尊像です。

この阿弥陀三尊像は、浅野長政が参拝に来られた時に甲斐善光寺の大きな本堂に合うようにと千塚村(現甲府市)光増寺より動座し寄進されました。
重要文化財に指定されています。


※善光寺HPより

そのほかにも、善光寺如来絵伝、地蔵十王図、狩野探幽作釈迦像、釈迦涅槃像、本田義光夫妻像、小野小町像、など多くの宝物を見学していると。。。

源頼朝像、源実朝像が展示されいました。

みなさん源頼朝と聞いてどんな姿を思い出しますか?
多分全員が同じ肖像画を頭に浮かべていると思います。
学生時代の教科書に載っていたあの源頼朝ですよね。

しかし!!!
みなさんが思い浮かべている源頼朝の姿。
現在では、研究により足利家の人間であることがわかったそうです。

現在の教科書には甲斐善光寺の源頼朝像が記載されています。

※善光寺HPより

甲斐善光寺の源頼朝像には体内墨書で「北条政子が源頼朝三回忌の際に修復を命じた」と書いてあり、間違いなく源頼朝像であると証明されました。

宝物館見学を終え、お昼12時から行われている半斉供養法要に参列させていただき今回の「坊主道と行くシリーズ!〜甲斐善光寺編〜」の全ての行程を終えました。

【終わりに】

久しぶりの一般参加を募っての「坊主道と行くシリーズ」でした。
初めて甲斐善光寺に来た人、小学校の遠足以来の人、ほぼ毎日いる人。
それぞれ再発見や学びがあり、実りあるツアーになりました。

「坊主道と行くシリーズ」はパンフレットには載っていない学びがあります。
気軽に坊主道メンバーに仏教のことやお寺のことを質問できます。※答えられるかは分かりません。笑

今後も楽しい企画を計画しますので興味ある方は気楽に、友達と遊びに行く感覚でご参加ください!

【甲斐善光寺御開帳情報】

甲斐善光寺の御開帳は6月29日まで開催されています。

拝観料:大人500円 小学生250円

拝観受付時間:午前8時〜午後5時

駐車場:無料駐車場有り

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