【みんな違って、みんないい】団結力が苦手な理由を分析してみた。
皆様こんにちは。
ヨーガ・瞑想講師の竹田夕子です。
新型コロナ感染症が日本だけ爆増している背景について、各所でいろんな方がそれぞれ分析していて、それぞれの意見があって、それ自体は「あー、そういう考え方もあるのだなー」と興味深くおもしろいです。
しかし、現在日本の病院やお医者様はとてもとても大変な状況のようです。医療従事者の方々が、体調を崩されませんよう、ただただ祈るのみでいます。
さて。それでは本日のテーマに入ります!
幼い頃から自他ともに認める、観察・分析に関して変態な私ですが、最近特にはまっていることがあります。
自分が苦手なことをほじくり返して、理由があるのか、どうして苦手なのか、あーでもないこーでもないと考え耽っています。
みなさんには苦手なことはありますか?
まず、皆さんに聞いてみたいのですが...自分にとって苦手なことを、言葉で表現できるでしょうか?
例えば...
虫が苦手。
高いところが苦手。
水が苦手。
この手の苦手なものは、ゾワゾワしたりモゾモゾしたり、心臓がバクバク拍動したり、危機感のような体感覚を伴ってくるので、分かりやすいかもしれませんね。
また、多くの方に表立って共感してもらいやすい、他の人にも理解してもらいやすい「苦手感」のような気がします。
あとは
勉強が苦手。
大勢の前でのスピーチが苦手。
野球が苦手。
これらは経験が大きいですよね。
勉強やってみたけどつまらなかったし、思うように成績が上がらなかった。とか、
人に注目されてると実力が出せない場面を経験した。とか、そんな感じで、
何度か経験してみたけど思うように成果が出なかったり、自分に落胆してしまうような経験があると、「苦手だな」となってしまいそうです。
わたしは結構どちらも克服していってます。
あ! G(ゴキブリ)は、まだダメかなぁ...コオロギと変わらないのにね...ビックリしちゃうんですよね...
それとはまた少し違って、なんとなく言葉で理由などもはっきり表現できないんだけど、、、苦手なこと。
その苦手なことがあるから、
自分の人生というか、人生の選択がなんとなく決まっている。
そんなことはありませんか?
私はその「なんとなくな部分」を、興味本位で観察・分析してみたい暇な人間です。
体育人だけど、集団の団結力・結束力が苦手です
体育人、体育会系とでも言いましょうか。
小学校から大学まで血を吐くほど没頭して運動をやり、各年代でキャプテンを務め、大学卒業後は中学校体育の教員を経験した私。
根っからの体育人です。
そこまで聞くと、「団結力命」のような、「チーム一丸となることが最高!」そんな集団の団結力を大切にしているような人間像が見えてきそうです。
しかししかし。
私は「みんな違って、みんないい」スタイルで、
集団の団結力・結束力が、苦手というか...もはやある種の恐怖です。
同じ考えで群れることや、囲われること、強要されることが、苦手。
そこで群れている人々の団結されたエネルギーは、恐怖。
こんな感じでございます。
なんだかそこに、「間違った意味の ”宗教性”」を感じてしまう訳です。
ちょっとここで話は逸れますが、間違った意味の宗教性というのは、言葉を選ばずに言うと「洗脳めいたもの」。
集団の謎。
どうして違った意見を持っている雰囲気を出すと、ス――っと無視されるのでしょう。
変わり者だと陰口めいたものを囁かれるのでしょう。
多数派を惑わせるような画期的なアイデアは、どうして否定されるのでしょうか。
私の中で、無視されたり、陰口囁かれたり、否定されるのは、「洗脳めいて」ます。
集団にとって望ましい流れや結果に近づくように、全員の思考をどんどん上塗りしていく感じがします。
怖いです。
わたしは仏教を始めとした宗教の「教え」に興味があり、それらを自由に学んでいます。
その自由さが正しいのか間違っているのか、それはまた別のお話として、いち人間・ヨーガ・瞑想講師として、はるか昔から人々に拠り所とされているその「教え自体」を知ることに興味があります。
世界にはさまざまな宗教があり、それぞれの地域の方に信仰されていると思いますが
それと同時に「うちの宗教のほうがいいに決まっている」「あちらはあんな間違ったことを言っている」と言いながら他を否定・排除するようになり、覇権争いや土地・お金・人口の奪い合いなどを有利に進めるために、信者をある種の洗脳のようなやり方で団結させる。
これは私の考えの中では(※私の中では、ね!※)間違った意味の宗教性です。
ということで、集団の団結力に、個を滅する力が働いているように感じるので、怖いんですね。
これは宗教に限ったことではなく、国・学校・組織・民族・政治だったりも団体としての力があってこそ発展するのだ、という考えももちろん理解していますし共感する部分もあります。
それは体育人としても重々体感してきました。
しかし、個を滅する方向、他を否定する方向に矢印が向いた時点で、私はどうしても恐怖を感じてしまいます。
その流れで、最近、ヨーガの生徒さんをはじめ周りの人間の動きで注視しているのが「おともだち囲み作戦」。
この時代だからですかね...
人や団体が、周りの仲間から仲間をどんどんと囲おうとする動きが、蛇のようにうごめいている風に感じます。
それはまるで蛇のようにじりじりと近づき、身動きとれなくするような、怖さを感じています。
「おともだち囲み作戦」での間違った宗教性の怖さは、自分が周りに「強いている・巻き込んでいる」ことに気づけないことです。
周りのみんなは違う考えや世界を持って生きているのに、
「こっちにおいで」「今来ないと取り残されるよ」「一人ぼっちになるよ」...そんな風にアドバイスしているつもりで恐怖感をあおり、自分の方を向かせる。
本人は、アドバイスしているつもり。
自分のいる素敵な世界へ友達を連れていきたい気持ち。
勝手に行ってーーーー。先に行っててーーーーー。
どんなに良いと思うことをやっていても、誰かに必要な時は、その誰かに必要なタイミングで届きます...
それが宇宙の法則ですよね。
この時代だから、焦っている人とか、不安になっている人も、多いと思います。
自分は周りから遅れてるんじゃないかとか、取り残されてるんじゃないか、、、そう思っている方がいるとしたら、、、
上等じゃないですか!
自分と深くお付き合いするチャンスではないですか?!
周りに同調しなくても、ペースが違っても、考えが違っても、、、
もはやそれでこそ! あなたの魅力・輝きが爆裂するんではないでしょうか!?
みんな違って、みんないい。
妙な集団力・団結力に、大切な自分をかき消されませんように。
自分が消えずとも、集団の中で笑っていられますように。
強い自分で自分を慈しみ、素の自分をたくさん可愛がってください。
もう一度「みんな違って、みんないい」で締めくくりたいと思います。
ヨーガ・瞑想講師 竹田夕子