【対談:宮司さん×お坊さん】日本の年末年始

【対談:宮司さん×お坊さん】日本の年末年始

【改めて日本の年末年始を考えてみる】

2022年も残りわずかですね。

連休という方も多い年末年始。

あなたはどのようにお過ごしですか?

振り返ってみると、12月は本当にイベントが多い月ですよね。

クリスマス、大掃除、お餅つき、そして大晦日・・・。

「12月の恒例行事」となっているこのイベントたちは、宗教と関連ががあるものばかりです。

年末年始、お参りに行くのはお寺ですか?それとも神社ですか?

この時期は、日本で暮らす私たちの「宗教観の特徴」が、最も分かりやすく見えてくるタイミングかもしれません。

そこで、今回はお寺を飛び出して、神社を訪問!

宮司さんと年末年始について語ってきました。

【対談のお相手は古屋真弘さん】

お邪魔したのは、山梨県笛吹市にある「甲斐国一宮浅間神社」。

甲斐国一宮浅間神社は、火を鎮める神様「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」をお祀りしている神社で、桃畑と多くのワイナリーに囲まれた、とても魅力的な場所にあります。

お話を伺ったのは、宮司の古屋真弘さんです。

実は、私が山梨の放送局でアナウンサーをしていたとき、古屋さんとはラジオ番組で共演させていただいていました。

古屋さんはラジオ番組でも、「宗教」というより「日本の文化」として、季節の行事をとても分かりやすく解説をしてくださいました。そこで、今回も是非お話を伺いたい!とオファーさせていただきました。

【新たな年の始まりに「年神様」をお迎えする】

海野:きょうは、宮司である古屋さんから見た年末年始やお正月についてお話を伺えればと思っています。

古屋さん:まず「神道」というのは、私たちのなかでは「宗教」というよりも、日本に昔からある習俗・習慣が形として宗教になっているという解釈があります。「お正月」も、神道の行事というよりは、日本古来からある行事というものを神道の中に取り込んで行っていると考えています。私たちの考え方では、お正月には「年神様(としがみさま)」をそれぞれの家にお迎えします。年末には餅つきをして「鏡餅」を作ると思いますが、「鏡餅」は「神様が宿る場所」なんです。神社にはご神体(神様が宿るもの)があるのですが、そのご神体が「鏡」というケースがあるんですね。そこから、お餅を鏡のように丸くして、それぞれのお家での神様の拠り所としているんです。またこの「お餅」というのも重要です。日本の習慣の中では「稲作」というのがとても重要ですよね。昔から日本の人々は、米作りがうまくいくように神様にお願いをしていた。そして、上手く育ったお米を使って、お餅をついて、お供えするんです。

海野:面白いですね。鏡餅はお仏壇にお供えする方も多いですね。それくらい生活に入り込んでいて、「神道」「仏教」と改めて考えることがないかもしれないですね。

古屋さん:おっしゃる通りですね。一番根底にあるのは、ご先祖さまを大切にするという気持ちですよね。それは神道も仏教も同じだと思います。お餅はとても貴重なものでしたから、大切にしなければいけないお仏壇にお餅をお供えするというのは、極めて自然な日本人的感覚だと思います。

【仏教の年末行事といえば「除夜の鐘」】

古屋さん:僧侶の皆さんは年末年始をどう過ごしているの?

海野:宗派や地域にもよりますが、やはり「除夜の鐘」が恒例行事ですよね。

古屋さん:「鐘をつく」っていうのが、仏教ではどうかわからないんだけど、神道では太鼓を叩く、神様の前で柏手を打つ、これは一説には大きな音を出して「神様!ここにいるよ!」って気づいてもらうっていう、物理的な音にも意味があるけれど、除夜の鐘も音って意味があるの?

海野:これも宗派によって考え方に違いはあると思うのですが、「清める」「魔除け」のようなもののために、鐘や鈴などの音を出すというところもあるようですね。梵鐘(ぼんしょう)というお寺にある大きな鐘は、昔は時間を知らせるためについていたという背景があります。ですから、純粋に「お知らせ」のために叩くということもありますし、「音」には神道と同じように、仏様への呼びかけのような意味もあるかもしれません。除夜の鐘は「時を知らせる」と同時に「1年の降り積もったものを除く」という思いも込められているかもしれませんね。そして、よく「なんで108回なんですか?」と聞いていただくこともあります。これは、それぞれお坊さんが「法話ネタ」を持っていると思うのですが、私がよく使わせていただくのは「九九」でして。仏教では「苦」というのは「思い通りにならないこと」と捉えます。そして「四苦八苦」という、思い通りにならないことの代表が挙げられています。「四苦」とは「生老病死」です。「八苦」になると「愛別離苦」などもう少し細かくなります。これを「掛け算してください」というんです。「四苦(4×9)=36」「八苦(8×9)=72」。これを足すと、36+72で108なんです。(ドヤ顔)実際私は、108というのは、それだけ多くの煩悩があるという表現、譬えであると捉えているので、自坊では厳密に108回数えているわけではなく、時間で区切って除夜の鐘をついています。

【年末年始をきっかけに】

海野:年末年始は、神社、お寺、宗教というものを身近に感じる機会だと思いますが、古屋さんは皆さんにどんな心持ちでこの期間を過ごしてほしいと考えていらっしゃいますか?

古屋さん:心持ちというと、「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、これは極めて日本人的な言葉だと思います。今は、ありがたいことに「初詣といえば神社」と言ってくださる方が多いですが、神社は、施設的にみても、鳥居をくぐったところから色々と「清められるゾーン」があるんですね。手水をとるとか、森の中で新鮮な清められた空気を吸うとか。1年の最初に清まった体を得た上で、神様の前に進んで「昨年1年ありがとうございました」と普段はなかなかいえない感謝を述べた上で、「この1年もよろしくお願いします」とお願いする。これは節目を大切にする日本人としてはとても良いことだと思います。

海野:仏教の年末年始は「除夜の鐘」が印象的だと思いますが、これは「お寺は人が集まる場所である」ということを改めて知ってもらうためにも、とても大切な行事だと思います。あそこまで集中的に近所の人たちが集まって、近況報告をする機会ってないと思うんです。昔、お寺が「集会所」のような役割を担っていたとしたら、それが思い出される、その役割に改めて気づいていただける機会に除夜の鐘がなっているのかなと思います。

【日本人の宗教観とは】

年末年始というきっかけで、宮司さんとお坊さんの、宗教を超えた?対談をさせていただきました。

率直な感想は「共通点が多いな」ということでした。

もちろん「教義」で考えると異なることもあります。

でも、「節目を大切にする」という思いや、「ご先祖さまからの命のつながりに感謝する」という感覚は、日本で生活する者として、頭ではなく、肌感覚で共感できる部分だったと思います。

大陸から日本に伝わった仏教は、そこに元々根付いていた文化や信仰と混ざり合って、今の形に繋がっているんだと実感した対談でした。

【ちなみに・・・】

実を言うと、記事にできたのは対談の3割程度です・・・。

全然書ききれなかったです!

古屋さんには、大掃除のお話や、お年玉のお話も伺いました。

さらに、年末年始の話題に留まらず、「仏教ではこの問題をどう考えているの?」と言う様々な角度の鋭い質問までいただきました!

ということで、後日取材音声をYou Tubeで公開させていだきます。

この記事では、対談のやりとりを分かりやすく「編集」していますが、音声では、古屋さんの貴重なお話をそのまま聞いていただければと思います。

年明けにお知らせできればと思っています。

長い記事でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。

<古屋真弘さん>

2013年から甲斐国一宮浅間神社の宮司を務める。

國學院大学卒。

甲斐国一宮浅間神社は865年(貞観7年)に創設された神社。

御祭神は「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」。

例大祭「大神幸祭」は山梨に春を告げるお祭り「おみゆきさん」として親しまれている。