冷たいご飯 – 横山瑞法の別に危なくない法話 vol.6 –

冷たいご飯 – 横山瑞法の別に危なくない法話 vol.6 –

冷たいご飯

20代前半の頃、リリー・フランキーの「東京タワー」という本が流行った。
テレビドラマや映画にもなり、当時かなり話題になったと記憶している。
サブタイトルが、“オカンとボクと、時々、オトン”で、内容はその通りのリリー・フランキーの半生をつづった自伝的小説だった。

この本が面白いし泣けると聞いたモラトリアム横山も、例に漏れずこの本を手に取ったのだった。

気になる人は読んでみて欲しい。
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さて、本を開いて読み始めると確かに面白く、ページをめくる手も進む。最初の10ページを読んで気が向かない本は一切読めない性質の僕ですが、この本は最後まで読めると思った。ちなみに、太宰治の『人間失格』は読まなアカン!と思い何度もチャレンジしているが、最初の数ページで何度も断念している。

そんなこんなで、夜中に夢中になっても夢中でページをめくり、涙を流す気満々で読み進めていくと、終盤でガンになったオカンが亡くなるシーンになる。
ああ、やっと泣きどころだと思ったのだが、 その直接的に死の描写がされたシーンではあまり泣けず。ちょっと拍子抜けしたのだが、しかし、その後のリリー・フランキーオカンとの思い出を回想する箇所、そこのある一つの描写で突如として涙腺が崩壊したことを覚えている。

「オカンは自分は冷たいご飯を食べて、僕には温かいご飯を食べさせてくれた」

という描写だった。
これが自分の体験とリンクしてしまった。
ウチのオカンも、自分は残り物の冷たいご飯を食べて、僕ら子どもにはいつも温かいご飯を食べさせてくれていた。

読んだ瞬間、あまりに当たり前のことだった、それを思い出して泣けた。

当時の僕は、温かいご飯を食べる側で、誰かのために冷たいご飯を食べるような心は持ち合わせていなかった。

そんな僕にも、冷たいご飯を食べられるようになる転機が訪れる。
その境目は明確に覚えている。

それは、“自分の子どもが生まれたこと”だった。

友人と食事をしていて「一口ちょうだい」と言われるとちょっとイラッとするくらいに欲深い僕が、誰かのために冷たいご飯を食べられるようになる日が来るなんて。
自分で自分に驚いた。

さらに驚いたことに最近は、もっと色々な人のために、冷たいご飯が食べられるようになっている。
よその子や他の人、地域、社会のためにも冷たいご飯を食べてもいいかなと少しずつだが思い始めている。
人間変わるものだ。

 

冷たいご飯を食べる

冷たいご飯を食べるくらいでいい。

食べないわけではない。
冷たいご飯は食べるのだ。

冷たいご飯、誰かのために食べることがありますか?