お葬式は、旅立つ大切な人への「最後のプレゼント」

お葬式は、旅立つ大切な人への「最後のプレゼント」

はじめまして!SOCIAL TEMPLE生涯サポート事業部の小澤です。

私は普段、お葬式の仕事をしています。
この仕事を始めたのは30歳のとき、8年間県内の葬儀社に勤めた後、2022年に独立して「やまなし自宅葬儀社」を立ち上げました。
お葬式に携わるようになって10年。お手伝いさせていただいたお葬式は700件ほどになります。

今日は、そんな私がお葬式について少しお話しさせていただきます。よろしくお願いいたします。

 

おくり方で残された人の人生が変わる

皆さんは、お葬式は誰のためにすると思いますか?

 

私は大学生の時に母を子宮がんで亡くしました。

13ヶ月入退院を繰り返し、亡くなったのは2002年11月11日の夕方。

母の命が最期を迎えたその瞬間のことは、20年近く経った今でも鮮明に覚えています。

母のなきがらはその日の夜遅くに自宅へ帰り、お葬式一切が終わったのは11月14日。

母が自宅へ帰ってから、葬儀が終わるまでの記憶はほとんどありません。覚えているのは、心も体もすごく疲れたということだけです。

 

時は過ぎ、葬儀の仕事に就いて2年目に今度は祖母をおくりました。

山深い地域に住んでいた祖母ですが、いつ遊びに行っても庭に草があることはなく、常に季節のお花が咲いていました。

そんな花好きな祖母なので、私たちは自分でお花屋さんへ行き、選んだお花を手向け、祖母はたくさんのお花と共にお浄土へ旅立ちました。

 

祖母のお葬式には、祖母に「お花をプレゼントできた」という思い出があります。

 

一方、母のお葬式のことを振り返ってみると、何も思い出がなく、いまだに母が帰ってくるような気さえします。

帰ってくるというよりも、「帰ってきてほしい」という願いの方が正しいのかもしれません。

それは母が亡くなったとき、私はまだ学生だったので、母にあれこれしてもらった記憶はあっても「母のために何かしてあげた」記憶がないからだと思います。

 

それは、母との最後のときの「お葬式」でさえも。

 

母と祖母、二人の死は、「旅立つ大切な人に何かをしてあげることは、死を受け入れる手助けになり、その後の人生を前向きに前向におくることが出来る」ということを私に気づかせてくれました。

 

自分たち家族ならどうおくるか

私がお葬式の仕事に就いて10年。この間、お葬式は簡略化・簡素化がすすみました。

そしてコロナ禍の影響によりそれに拍車がかかり、ご家族や親しい方が故人様と向き合う環境がさらに失われてしまいました。

 

そして、このことにより大切な人の「死」を受け入れられていない人が増えています。

 

世の中の傾向だからではなく、「私たち家族ならどうおくるか」を考えることで、後悔のない最期の時を過ごせるのではないでしょうか。

 

お葬式に携わることは、一生のうちに何回もあることではありません。

 

「葬式代金はどのくらい?」

「万が一のことが起きたら、まずはどうしたらいいの?」

「そもそも何がわからないかわからない」

 

これらは私がよく言われる言葉です。

 

 

「死」は誰もが必ず経験することで、いつ訪れるのか予測できないことです。

そして、家族同士が元気なうちにしか大切な事を話し合うことはできません。

 

まずは、家族が集まる普段のリビングや食卓で“気負わずに”お話をすることをおすすめします。

会話のコツはまた次回…。

 

お葬式は、旅立つ大切な人への「最後のプレゼント」

 

お葬式の役割のひとつに「心理的役割」があります。

それは、故人に縁のある人々がお葬式を通してその死を受け入れ、心を癒し休める役割のことです。

 

死別の悲しみや痛みは、決して容易に解決するのもではありません。

 

お葬式はやり直しのできないことです。

「火葬だけで」「簡素に」「簡単に」とお考えの方は、なぜそうしようと思うのか、もう一度心にその理由を問いかけてみてください。

お葬式は、旅立つ人のためであり、そして残された人のためでもあります。

 

僧侶や葬儀社に任せきりにせず、今一度、偲ぶ環境や弔う時間を自分自身で考え、ご家族と近しい人で「おくる」という事見つめ直すことが大切だと思います。

 

お葬式は、大切な人と過ごす最後の時間。穏やかであたたかいお別れを考えてみませんか?