ユネスコ無形文化遺産「風流踊」を取材しました!
「風流踊(ふうりゅおどり)」を知っていますか?
2022年11月、全国各地の41の「風流踊(ふうりゅおどり)」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
「風流踊」というのは、衣装や持ち物に趣向を凝らして、歌や笛、太鼓、鉦などの囃に合わせて踊る民俗芸能のことです。
身近なものを挙げると「盆踊り」も「風流踊」のひとつだそうです。
盆踊りと聞くと、風流踊がどんなものなのか、なんとなくイメージできますよね!
今回、ユネスコ無形文化遺産に登録された41の風流踊のうち、山梨県からは、上野原市に伝わる「無性野の大念仏(むしょうののだいねんぶつ)」が指定されました!
そして、山梨県のお隣・長野県からは、なんと3つの風流踊が指定されています。
先日、この長野県の3つの風流踊を一度に見られるイベントが開催され、取材に行ってきました。
※ユネスコ無形文化遺産・・・各地の文化遺産を守り、継承していくための枠組み。「無形文化遺産」は、音楽や食、祭りなどが対象となっている。
2つの「踊り念仏」と「盆踊り」
訪れたのは長野県下伊那郡阿南町(あなんちょう)。
阿南町は長野県の南部にある町で、愛知県と隣接しています。
この阿南町で行われたのが「南信州民俗芸能フェスティバル」です。
会場では、長野県内で指定された3つの風流踊が披露されます。
長野県から今回ユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、
跡部の踊り念仏(佐久市)
新野の盆踊(阿南町)
和合の念仏踊(阿南町)
の3件です。
なかでも、僧侶目線で気になるのが「念仏」というワード。
きっと仏教と関わりがあるに違いない!と気合を入れて取材しました。
となえるだけではない!踊る念仏
3つの風流踊の中で「念仏」とつく「跡部の踊り念仏」と「和合の念仏踊」に注目してみました。
「跡部の踊り念仏」は、長野県佐久市跡部(あとべ)地区に伝わる風流踊です。
「跡部の踊り念仏」は、毎年4月に地元のお寺で行われています。
「道場」という舞台を作って、鉦や太鼓に合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら(歌いながら)踊ります。振り付けは比較的ゆっくりで、合掌して、前へ・後ろへとステップを踏み、道場をぐるっと回ります。女性は鮮やかな紫色の着物姿で、とても華やかな踊りでした。
この「跡部の踊り念仏」は時宗の開祖・一遍上人が善光寺参りの帰りに佐久市に寄り、その時に伝えられたものだそうです。時代は鎌倉時代とのことで、本当に長い間受け継がれてきたんですね・・・。
保存会の伴野会長によると、
「南無阿弥陀仏とおとなえすれば、死後、極楽浄土へ行けるという思想もあったが、この踊り念仏は、当時の人たちにとってエンタメ・娯楽としてかなり人気だったのではないかと思う。厳しい生活を営んでいた当時の人たちの楽しみの一つとして、地域に長く伝わっているのだと思う」とお話してくださいました。
そしてもう一つ、「和合(わごう)の念仏踊」は阿南町に伝わる風流踊です。
「和合の念仏踊」はとにかく激しく、かっこよかったです!
踊り手は主に男性で、傘をかぶって、大きな太鼓を叩きながら踊ります。
女性は浴衣姿で美しい笛の音を響かせていました。
「和合の念仏踊」が行われるのは、お盆の8月13日〜16日の4日間。
その日によって、踊る場所や踊りの内容が違うということですが、どの踊りもとてもエネルギッシュ。
なかには踊り手が足を激しくぶつけ合って踊る場面もあり、「倒れてしまうんじゃないか・・・」と見ているこちらもハラハラ・ドキドキが止まりませんでした。
保存会の平松会長によると、「和合の念仏踊」には亡くなった方への供養と、五穀豊穣の願いが込められているそうです。
和合地区は人口が少ない集落ですが、「和合の念仏踊」には保育園に通う小さいお子さんから、70代の方まで、地域のほとんどの人が参加しているそうです。
「死」を地域で受け止める
今回、長野県の風流踊りを取材して感じたのは「大切な人の死を地域全体で受け止めている」ということでした。
どの風流踊にも「踊って楽しむ」と同時に、「亡くなった人を供養する」という思いが込められていました。
今は「家族で見送る」というスタイルが一般的になっていますが、
少し前の時代には、近所の人や同じ集落に暮らす人が皆で悲しみ、亡くなった方の死後の世界での幸せを皆で願っていたのではないでしょうか。
そして、どうしても消化しきれない悲しみや喪失感を、
歌って、踊って、地域の人たちとの一体感のなかで受け止めていったのではないかと感じました。
僧侶の私は、「念仏」=「仏教」と直結させてしまいましたが、
仏教だけでは括れない、先人たちのとてもリアルな感情や知恵を、風流踊りから受け取らせていただいたように思います。