僕が旅に出る理由 – 横山瑞法の別に危なくない法話 vol.8 –
全く知らない場所へ行って、全く知らない誰かが、普通に暮らしている姿を見かけると妙に安心する。それは、洗濯物を干している姿だったり、スーパーで買い物をする姿だったり、子どもの手を引いて保育園に送っているだろう姿だったり。そんな普通の暮らしの普通の風景を旅先で見るのが好きだ。
ずいぶん前からそうで、なぜそんな風に思うのか自分でも不思議だった。しかし、最近なんとなくその理由がわかった気がする。
おそらく一つは、「自分がいないところでも、ちゃんと世界が回っていると実感できるから」だと思う。
高校生の頃に公開された「トゥルーマン・ショウ」という映画があった。
ジム・キャリーが主演じる主役は、生まれた時から24時間その生活の様子をエンターティメントとして放送されていた。生活の舞台は全てセットで登場人物も皆キャストという物語。誰もが多感な時期に「もしかしたら、そうなんじゃないか…」と一度は妄想したことがある内容だ(そうだよね?)。
その設定に興味を惹かれ勇んで映画館へ足を運んだが、期待が大きすぎたせいか肝心の内容はあまり僕の好みではなかった…。
齢40を過ぎたおっさんが、まだ心のどこかにその頃の「もしかしたら、自分以外みんなキャストなんじゃないか…」という妄想をうっすら持ち続けているのだ。そう、僕は超自意識過剰の厨二病おじさんなのだ。この連載では持て余した厨二病を恥ずかしげもなくさらけ出している。だから、みんなひっそりと読んで欲しい。
そして、おそらくもう一つ理由がある。
関係無さを確認するのだ。
というのも、縁にもいろいろあって「関係無い」という縁もある。僕の妻がドナルド・トランプの娘だったら、この穏やかな片田舎の寺の住職としての日常はありえないだろう。僕がイーロン・マスクの弟だったら、貸切宿坊のオーナとして穏やかに清掃をする日々はきっと危うい。
関係無いから、今ここの自分がある。
およそ、この世の99.9%は自分には関係無い(ように見える)。
しかし、関係無いが故に関係があるし、関係無いように見えて関係があるのだ。
関係無い場所の、関係無い人の、関係無い日常生活がとうとうと流れていく様をみると、その関係の無さに安心する。関係無いから、今ここにある自分に安心して、日常に戻っていける。ネットやテレビで観るだけでは、リアリティが足りない、手触りが足りない。
だから時々旅に出て、そんな風景を自分の目で見て、その場の空気を感じたくなる。
ちなみに、僕が旅に出る理由は、あとだいたい100個くらいある。
残りはまた機会があれば書くかもしれない。
期待しないで待っていて欲しい。