日蓮宗の年中行事ってなに?なーに?

日蓮宗の年中行事ってなに?なーに?

日蓮宗の年中行事ってなに?なーに?

日蓮宗の年中行事には、各宗派共通の季節行儀、お釈迦さまゆかりの行事のほか、日蓮聖人の記念行事、そして四大法難の苦労に感謝する行事があります。一般寺院でも行われる行事から本山等で盛大に行われる行事、日蓮宗の年間通しての行事を今回はご紹介します。

新年祝祷会 1月1日~3日

祝祷とは新年を祝い、社会の平和・家内安全を祈祷することで、大寺院を中心に法要が行われ、初詣の人出で賑わっています。

節分追儺式 2月3日

冬から春に改まる節分の夜、豆をまいて疫病の神である鬼を追い払う儀式です。身延山久遠寺や池上本門寺等では年男年女の豆まきが行われ、中山法華経寺では荒行僧による法楽加持と豆まきが行われます。

涅槃会 2月15日

お釈迦さまがなくなった日に営む法会で、涅槃はニルヴァーナ(涅隷槃那)の音写です。ニルヴァーナとは煩悩の火を吹き消したというほどの意味です。それほどすばらしい亡くなり方をしても、尊い方を亡くした弟子たちにとって悲しみは底知れぬものがありました。

お釈迦さまの絵像(涅槃図)を掲げ、徳を慕い感謝する目的で法要を行います。

宗祖降誕会 2月16日

日蓮聖人の誕生を祝う日で法会を営みます。1222年(貞応元年)2月16日の朝、日蓮聖人は漁民の子として現在の千葉県鴨川市小湊に生まれました。その時、三つの不思議な事が起りました。一つは庭先で泉が湧き出したこと。二つには浜辺に白い蓮の花が咲いたこと。三つには深海にすむ鯛の群が岸辺に寄ってきたことです。日蓮聖人はその妙の浦辺りで生まれましたが、後にそこは崩れて海中に没してしまいました。妙の浦の近くには誕生寺があり、2月16日には誕生会と称して聖人の稚児像を安置し、法要が営まれます。

彼岸会 3月・9月

「暑さ寒さも彼岸まで」というように、」春と秋の機構の境目を、苦しみの此岸と安楽の彼岸とに譬えたものです。ふるえるような寒さ、うだるような暑さは現代にあっても耐え難いものです。古代ではなおさらであったでしょう。春分、秋分の考え方は日本古来のもので、そこに仏教的な考え方が付加されたものです。

また、彼岸には「あの世」の意味もあり、先祖供養の日とされ、法要や墓参が行われます。

釈尊降誕会 4月8日

お釈迦様の誕生を祝う日で法会を営みます。誕生の時、龍神が甘露の雨を降らせ、また周辺の花が咲きほこったという伝説から、灌仏会・浴仏会・龍華会などとも称し、また一般に「花まつり」と呼ばれています。

主な寺院では花御堂という小堂に誕生仏を安置し、その頭上から甘茶を注ぐ習わしがあり、参詣者が甘茶を注ぎます。また甘茶を参詣者に分けてくれるお寺もあります。

立教開宗会 4月28日

日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」のお題目こそ、この末法の人びとを救う唯一の教えであると宣言した日に行う法会です。

1253年(建長5年)4月28日、安房小湊の清澄寺での出来事でした。以来、日蓮宗では、お会式と共に、この法会を盛んに行ってきました。この法会に際して「千部会」(お千部)を行うお寺もあり、多勢の人で『法華経』を千部読誦するのでその名がついたといわれています。千葉県清澄寺では27日から28日にかけて、旭が森と祖師堂において盛大に営まれます。

伊豆法難会 5月12日

日蓮聖人が伊豆の伊東に流された日、その苦労に感謝する法会です。この伊豆法難のほか、松葉谷・龍口・小松原の各法難を合わせて四大法難といいます。

伊豆の法難は『立正安国論』を北条時頼に呈出し、念仏の禁止を進言したことが念仏者たちの怒りをかい、2年間の追放にあったものです。この追放の前に、念仏者たちによる草庵の夜襲があり、これを松葉谷法難と呼んでいます。静岡県伊東の仏現寺は伊豆の霊跡地であり、例年法要を行っています。

盂蘭盆会 8月(7月)

俗にお盆でなじみのある盂蘭盆会は、梵語ウランバナが逆さに吊るされる地獄の苦しみを意味するように、地獄で苦しんでいる人(餓鬼)に飲食を施して苦しみから逃れさせるようにする行事です。

家庭では精霊棚の上に真菰を敷き、きゅうりの馬とナスの牛を作って置き、蓮の葉に微塵切りにしたナスを置くなど、各地方により、さまざまな趣向や特色のある行事です。8月のお盆が全国的にみて多いようですが、東京など7月に行うお寺もあります。

松葉谷法難会 8月27日

日蓮聖人及びその弟子、信者が蒙った最初の法難で、伊豆法難の前の年にあたる1260年(文応元年)の8月27日、鎌倉松葉谷の草庵が念仏者に夜襲、焼き打ちされたのです。日蓮聖人は弟子、信者の防戦のおかげでかろうじてその場を脱出し、下総の檀越富木常忍の邸に身を寄せました。その苦労に感謝する法会です。

龍口法難会 9月12日

りゅうこう法難とも称し、日蓮上人が龍口の刑場に連れて行かれ、そこで打ち首にされそうになった事件です。この時期1271年(文永8年)は日蓮聖人のみならず、弟子、信者にとってもの最も厳しい弾圧が行われたといいます。

神奈川県藤沢市の龍口寺は法難の霊跡で、例年当日の前後3日にわたり、法要が行われ、参詣者で賑わいます。


佐渡法難会 10月10日

日蓮聖人は龍口から依智(現神奈川県厚木市)に連れて行かれ、約1カ月後の10月10日に依智を出発、10月21日に越後(現新潟県)の寺泊に着き、28日に佐渡に到着したのです。龍口法難と佐渡法難を龍口佐渡法難として法会を一緒にする場合もあります。

聖人は佐渡で『開目抄』や『観心本尊抄』を著わし、またいわゆる「ひげ題目」もこの時期に書くようになったといいます。

一谷の霊跡にある妙照寺では、聖人が1273年(文永10年)7月8日に十界勧請の大曼荼羅を初めて図顕したお寺とされています。

宗祖報恩会式 10月13日

単にお会式ともいい、立教開宗と共に日蓮宗寺院で盛んに行われる法会です。日蓮聖人が亡くなった日に聖人の絵像をかかげて遺徳を偲び、報恩の法要を行います。

また聖人が亡くなった10月13日にその庭先で桜が開花したという故事にちなみ、桜の花になぞらえた万灯がともされます。殊に東京池上本門寺では入滅の霊跡として12日のお逮夜には華麗な万灯行列と共に参詣者でたいへんな賑わいを見せます。

小松原法難会 11月11日

伊豆法難の後、日蓮聖人は1264年(文永元年)に故郷へ帰り、父の墓参や母の病気見舞をされたといいます。その折、檀越工藤吉隆の招きで、日蓮聖人一行が小松原という所にさしかかった時、地頭東条景信の手勢に急襲され、弟子など数人が殉教しました。聖人をけんめいに守ろうと防戦し、殉死した弟子の一人、鏡忍房の名を取り、この地に鏡忍寺(千葉県)が建てられ、犠牲者の霊がまつられています。

 


釈尊成道会 12月8日

お釈迦さまが菩提樹の下で瞑想し、迷いから解放され、悟りを得たことを成道といいます。それは約2400年前の12月8日だったのです。そしてもろもろの教えを説き、『法華経』によってその教えは完成されたのです。その成道の徳を慕い、讃え、教えに感謝する法会が成道会です。

 

他にもお施餓鬼、お題目講、七五三など多数ありますが、今回は日蓮宗の主な年中行事をご紹介させていただきました。

ご清聴ありがとうございました。