御朱印

御朱印

はじめまして。浄土宗の小幡です。御朱印についての豆知識について簡単にお伝えをさせていただきます。

皆様、御朱印ってご存じでしょうか?ご存じでない方もこれを機に御朱印に興味を持っていただければと思います。

近年では年齢を問わずに御朱印を集める方が増え、御朱印巡りがブームとなっています。「御朱印ガール」という言葉ができるほどです。最近では期間限定の御朱印や、アートな御朱印も登場し、人気の神社仏閣では数時間待ちの御朱印行列ができるほどです。年齢問わずに幅広く楽しめる趣味として注目されています。参拝の記念になる御朱印は、旅や散歩の思い出を振り返ることのできるすてきな趣味です。(可愛らしいアート朱印 西源寺にて要予約)

この御朱印集めですが、本来の意味や目的などご存じでしょうか?

御朱印を集めている方々、スタンプカード集めのようになっていませんか?

せっかく、お寺や神社に足を運び参拝をするのでしたら、本来の意味や目的など知識として身につけておいて損はないでしょう。御朱印の歴史について簡単に説明していきます。

「御朱印はいつ生まれたのか?」

そもそも御朱印とは「朱の印肉で捺した印」を指します。歴史は古く、古代中国の王朝でも朱印が使用されてきました。日本で現在する最古の朱印といえば、福岡県志賀島で江戸時代に発見されたという「漢委奴國王」の金印です。中国の歴史書によると、これは後漢の光武帝が建武中元2(西暦57)年に倭国の奴国から後漢へ遣わされた使者に賜った金印であるとされております。

室町時代後期に戦国大名たちが出す文書類に印が捺されることが慣例化してきます。これがいわゆる「朱印状」です。織田信長や豊臣秀吉等の著名な戦国武将たちも朱印を頻繁に用いていますが、例えば信長は、自らの指令を家臣に伝える際の文書には朱印を、また指令伝達以外の私信には黒印を用いたといわれています。このような戦国大名たちの朱印状が近世にはさらに普及し、江戸時代には、家臣への所領の安堵や寺社への寄進などの際には、必ず朱印状が用いられるようになりました。またそこでは、朱印は黒印と比べて格式や命令の強制力が高いと見なされます。ここに朱印が「ありがたいもの」とする認識のルーツが潜んでいるようですね。このように歴史の中では常に大切な約束の証明として朱印が用いられていました。

簡単に言っちゃうと

→江戸以前の武家時代には朱印を押すということは、公的な文章である公文書と示していた。朱印というものはそれだけ価値のある大切なものであるのです。(武田信玄公朱印状 甲斐善光寺 蔵)

「御朱印の元となったのは?」

私たちが寺院や神社で受けることができる御朱印は、もともとはお経を書き写す修行である写経を行い、それをお寺に収めた証明として朱印(御宝印)を頂くものでした。

ちなみに朱印は先ほど記したように公的なものであり非常にありがたいものです。そんなお寺の御宝印をもらえるのです。皆さん朱印選ぶときこの字がいいとか思って頼んでいませんか?字がメインではないんですよ…(小声)

おっと話を戻しまして

「お経を納める=納経」ということから、今でも納経印(御朱印)、納経帳(御朱印帳)とも言います。

納経を浄土宗大辞典で調べると、現世の安隠や末世の福徳を祈り、あるいは死者の追善供養のためなどに経典を書写し、寺院や諸国の霊場に納めること。経典を土中に埋経することはインド以来行われ、この思想から神社・仏寺に大蔵経を奉納することが平安時代から盛んになり、『大般若経』や『法華経』『阿弥陀経』『弥勒経』などが納められた。藤原道長の金峯山山頂への埋経や、平家一門の厳島神社への納経(平家納経)などはその一例。北条時政が江の島の弁財天に参籠し、その前生に六六部の『法華経』を書写し、六六箇所の霊地に奉納したとの示現を感得した(『太平記』時政参籠)のが起源といわれる六十六部納経は、室町時代から盛んとなり、書写した『法華経』を全国六六の霊場に納めた。江戸時代には全国各地の有名な寺社を巡り『法華経』などを納め、受領証をもらった者が、金品を納めて寺印を受けることに変わり、現在に至っている。と記されています

ふむふむ。なるほど。

つまり、御朱印が今の形の元となったのは、平安時代から盛んに行われた法華経などの経典を写経し、写経したものをお寺や神社に奉納する「納経」という修行習慣であり、納経するということは、今生きているこの現世を安穏に過ごし、生まれ変わったら来世の幸福を願うためであり、亡き人の追善供養のためにお寺や神社に写経を納めました。室町時代に入ると六十六部納経といい全国六十六ヵ所の霊場を巡り、写経した法華経を納めて回る修行が広まっていきました。江戸時代に入ると現代の私たちまで伝承されている四国八十八ヵ所参り、お遍路巡礼など我々一般にも広まっていきます。納経するための写経ですが、写経をしたくてもできない方もいます。紙や筆、墨を購入できない方もいます。でも、寺社へ参詣だけでもしたい。そんな思いを持っている方もいます。そんな尊い思いから納経したものがなくても、そのお気持ちをもって巡礼する風習が広まっていきます。写経を納めることだけが納経ではなく、参拝しその場でお経を称えることや写経の代わりに金品を納めることで寺印を受けることになり、現代にまで至っているのです。

江戸時代で流行った御朱印が今もこうして年齢問わずに人気なのはすごいですね。

 

御朱印の歴史もわかったことですし、次に気になるのは、集めた御朱印どうしていますか?

御朱印帳が全部のページ書き終えたらどうしていますか?

私が聞いた話の中で閻魔様のお話があります。俗説なのですが個人的に好きなお話なの紹介させてください。あと、浄土宗大辞典に記されていたインドでは経典を土中に埋経すると記されていて気になったので…

関西や四国には巡礼した人が亡くなった時に満願した御朱印帳をお棺の中に入れるという地域があります。宗派によるかもしれませんが、御朱印帳は極楽への手形のようです。地獄へ行くのか極楽に行くのか裁判をする閻魔様に御朱印をお見せすると極楽に行けるというものということのようです。自分の親のお棺に入れる人が多いそうです。

世間一般的には亡くなってから閻魔様の前で七日、七日…と裁判をしていき、次の世が決まると言われていますよね。そこでこの御朱印帳をもっていき、私はこれだけの功徳を積みました。どうか極楽へ往かしてくださいとお願いができる。この御朱印はすごいものだと感じました。お棺に入れるのは関西や四国が始まりではありません。先ほど記したように、インドでは経典を土に埋める文化があり、それが形代わり日本で御朱印帳となったのではないでしょうか。

御朱印はあくまで参拝した証明として授与されるものです。参拝もせず御朱印だけもらって帰っている人はいませんか?まず参拝をしてから御朱印を頂くのが基本ですよね。記念スタンプやコレクションのように考えてはいけません。ただ集めることだけが目的とせずに参拝することで、仏様や神様と御縁を深めていった結果御朱印が集まっているのがあるべき姿ですね。今では、切り絵朱印や仏様のお顔が書かれた朱印、墨ではなくカラフルに書かれた朱印、アニメとコラボする朱印などいろんな方々に楽しんでいただけるような朱印もあります。皆様も世界に一つだけの自分だけの御朱印帳作ってみるのはどうでしょうか。

御朱印がお寺や神社に足を運ぶきっかけになっていただければ幸いです。