『葉っぱのフレディ』〜変化しないものはひとつもない〜
彩り豊かな秋
11月に入ってようやく秋が深まってきましたね。
自坊のある長野県も、信じられないことに、つい最近まで最高気温が25度近くになる日が続きました。
ここ数日は朝晩と日中の気温の差が大きくなって、紅葉も一気に進んでいます。
私はこの秋、一冊の絵本と再会しました。
『葉っぱのフレディ−いのちの旅−』(レオ・バスカーリア作・みらいなな訳/童話屋)です。
ある番組に出演させていただいた際、この作品がVTRに登場していてハッとしたのです。
私自身、何年も前に一度読んだことがあり、タイトルとあらすじ程度は記憶していたのですが、改めて物語を味わってみると、その言葉や思想が仏教に通じていると感じました。
いのちの始まりと、いのちのゆく先
物語は、いのちの誕生からはじまります。
生まれたのは葉っぱの「フレディ」。
葉の先が5つに分かれて、みずみずしい緑色をしています。
夏に生まれたフレディは、季節とともに体も大きく成長し、同じ木で過ごす仲間たちと穏やかな毎日を過ごします。
フレディの親友は「ダニエル」。ダニエルは誰よりも体が大きくて、とても博学な葉っぱです。
フレディとダニエルはいつも様々なことを語り合いました。
小鳥たちのこと、星空のこと、人間のこと、季節のこと・・・。
フレディの身の回りで起こる不思議なことを、ダニエルはいつも優しく解説してくれるのです。
そんなある日、いつも仲良くしていたはずの「風」が、突然怖い顔をしてダニエルたちの木に吹きつけてくるようになります。そのうちに雪が舞いはじめ、フレディとダニエルの仲間たちは次々と木からいなくなってしましました。
ダニエルは「引っ越しだよ」とフレディに伝えますが、それは「死」を表していました。
ついに、木にはダニエルとフレディだけが残されました。
「そのとき」がきたら、引っ越すだけ。
フレディは、「死ぬのが怖い」とダニエルに伝えます。
変化しないものは、ひとつもない。
フレディに「死ぬのが怖い」と打ち明けられたダニエルは、
「世界は変化し続けているんだ。変化しないものは ひとつもないんだよ。(中略)死ぬというのも変わることの一つなのだよ。※」
と伝えます。
(※『葉っぱのフレディ』レオ・バスカーリア作・みらいなな訳/童話屋より引用)
仏教には「諸行無常」という考え方があります。
「あらゆるものは常に変化してとどまることなく、生じたものは必ず滅する」という意味です。
目がさめるように鮮やかな青空も、夜になれば星空に変わります。
真っ青だったフレディのからだも、季節とともに赤・青・金色の3色に変化しました。
私たちの日常を振り返ってみても、「永遠に変わらないもの」などないですよね。
「死」もそのひとつ。
元気な体も次第に衰え、いつかその役割を終える「そのとき」が来るのです。
死んだあと、どこへ行くの?
この物語の深いところは、「いのちのゆく先」を語っているところです。
皆さんは、私たちは死んだあと、どこへ行くと思いますか?
『葉っぱのフレディ』には「生まれたところへかえる」と綴られています。
私たちは、どこから生まれて、どこにかえるのか。
仏教はその部分を語っています。
仏教にも様々なグループがあり(宗派など)、考え方に少しづつ違いがあるのですが、死後の世界がそれぞれにあります。
科学が発達する現代、「死んだあとの世界なんて見た人・経験した人は誰もいない。だからそんなこと信じられない。」という声もあると思います。
その考え方も、その通りだと思います。(僧侶になる前は私もこう思っていました。)
でも、いつか必ずやってくる「そのとき」を想像したとき、実感したとき、きっと怖くない人はいないのではないでしょうか?
大切な人を亡くして、今を生きることが苦しい人もいるかもしれません。
死後の世界を見たことがある人はいない。(ごく稀にいらっしゃるかもしれませんが・・・。)
でも、仏教の死後の物語は、必ず「今」につながっています。
「今」この世界を生きるための、死後の世界なのです。
仏教には「今」を生きるヒントがいっぱい
「変化しないものは ひとつもない」これは時に優しく、時に厳しい真実だと思います。
嬉しい、悲しい、楽しい、悔しい・・・。
日常の些細なことから、「死」という大きなテーマまで、ひとつひとつ向き合っていくのは本当に難しいことだと思います。そして、疲弊・消耗しますよね・・・。
そんな時は『葉っぱのフレディ』のような文学や、仏教にヒントを求めてみるのはいかがでしょうか?
文学作品には仏教がにじむものが本当に多いです。
また紹介させてくださいね。