Vol.3|京都市・永観堂 放生池での池上法要にお浄土の音をきく
2023年もあと一月半で閉じようとしていますが、今年はいくつかの宗派において周年記念の大行事がありました。真言宗は「宗祖弘法大師御誕生1250年」、浄土真宗は「親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年」、そして浄土宗は2024年に「浄土宗開宗850年」記念法要が催される予定です。
法然上人から浄土の教えを受け継いだ西山證空上人を派祖とする浄土宗西山禅林寺派でも「宗祖法然上人立教開宗850年記念」として、2024年4月の大法要に向けて様々なプロジェクトが動き始めています。今回取り上げるのはそのプロジェクトの一つ、総本山永観堂禅林寺にて2023年10月7日~15日に行われた限定夜間拝観「Pure Land Lights」です。
永観堂といえば、京都屈指の紅葉の名所として夜間ライトアップ(今年は11/3-12/3の一ヶ月間)が有名ですが、その時期よりも少し先行して10月に2023年限定の夜間拝観を行いました。何が限定かというと、一つは永観堂の山内の美しさを際立たせるプロジェクションマッピングが施されること。もう一つは、永観堂の御影堂(大殿)と、境内の放生池にて特別法要や池上創作舞台が行われるということです。コンセプトは、光と音で「永観堂を浄土にする」ことであると聞き、いても立っていられず秋の京都へと向かいました。
蹴上の駅を出ると外はすっかり暗くなっていて、プロジェクションマッピングへの期待が高まります。永観堂への道のりで耳を澄ませば、琵琶湖疏水の流れる音と時折すれ違う下校中の学生さんたちが楽しげに話す声。水の音と人の声に導かれるようにして、永観堂へと辿り着きました。
総門をくぐり、そこからすぐに色彩豊かな色あいが目に飛び込んできます。入場口では数名のお坊さんが受付を担当していて、境内の見どころをていねいに教えてくれました。なんだかあたたかくてとても良い雰囲気。
ここで、この催しに誘ってくださったお坊さんのNさんと再会できました。Nさんはご担当者として本プロジェクトに関わっているため、後日別途お話しをお聞かせいただきました。(以降、Nさんにお聞きした内容も含めてレポートしていきます。)
伝統を感じる「法然上人追慕の法要」
ひとつめの法要が行われる御影堂(大殿)を目指し、参道に差し掛かると足元を鮮やかな色の映像が流れていきます。お寺につきものの鐘のような音が印象的な音楽も心地よく、コンセプトとして掲げる “浄土感” を身に受けながら奥へと進みます。
18:30になると大殿にて「法然上人追慕の法要」が始まりました。お堂の外の縁側の部分に複数名のお坊さんが並び、読経を行います。水の音と、虫の声が背景音として作用して、まさに追慕の念を感じさせる節のついたお経がとても感動的でした。お経に、感情が滲み出る瞬間はなんともいえない美しさがあります。
「Pure Land Lights」(平日版)で行われる法要は二つ。「法然上人追慕の法要」にはプロジェクションマッピングや背景音楽はなく、宗派の守ってきた法要の形式に近い形で、まさに伝統を感じさせてもらえる時間でした。
次に行われる法要が、宗派としても初の試みだという放生池での「光の池上法要」。こちらはプロジェクションマッピングや、アンビエント音楽と読経が溶けあう新しい表現となります。「伝統」と「新しさ」この二つの法要の対比は、一つの大きな見どころだったと思います。
新しさに触れる「光の池上法要」
放生池に降りていくと、池のまわりに色彩豊かな映像が映し出されていて、まさにお浄土のような光景がありました。来ている人たちは老若男女様々ですが、小さなお子さんたちの声がキャッキャとかわいく聴こえてきます。子どもの声の無邪気な響きも “浄土感” に一役買っているように思えます。
読経の声をサンプリングした音楽が流れる中、遠くの方から「カーン、カーン」とおりんの音が聞こえ「南無阿弥陀仏」と唱えながら、お坊さんの列が歩いてきます。そのまま池の上を歩き、7名のお坊さんが池上にスタンバイ。
この新しい法要の舞台として「池の上」を提案したのはプロジェクションマッピングを手掛けるディレクターの三谷正さんからだったそうです。永観堂の境内で存在感のある放生池、そしてもう一つのメインは「お坊さん」。お坊さんがいるからこそのお寺なのだから、ぜひスポットを当てたい。そんなご意見から、池の上でお坊さんが読経をするというアイデアに至ったのです。
池の中に足場を組んで、池の上に立っているように見せる。お坊さんの体にも映像が投影され、一つのスクリーンのようにも機能していました。
池上のお坊さんから声が発せられると、やはり荘厳な空気感が広がります。音楽は、お経を際立たせるようにうまくつくられています。音楽を担当したサウンドプロデューサーの近藤忠さんは何度も法要に足を運んで、音楽を作り込まれたそう。法要の音を録ってmixもされていて、今回の法要にばっちり寄り添う音楽でした。
音の面でのもう一つのこだわりは、お経は生声でおこなうということ。野外ですし、背景音楽も鳴らすとなると、てっきりピンマイクを使っているのかと思っていましたが、「マイクを通すと失われる何かがある」とのご意見があり、お坊さんたちは地声で頑張ったのです。
まさに光と音とお経によって「お浄土」をイメージした新しい表現が、あたらしい「永観堂の音景色」としてあらわれていたように思います。
法要の後半には、鎌倉時代から禅林寺に伝わる『山越阿弥陀図』をモチーフとした阿弥陀様が山の上の方に投影され、わーっと歓声があがります。山の端にかかる落日かまたは満月を阿弥陀に見立たという図様の来迎図が、実に現代的な形で山内の景色に現れたのです。まさに大団円。
「光」と「音」、そして
こうして充実の催しを振り返りながら「マイクを通すと失われる何か」とは何なのだろうか?ということを考えています。色んな「何か」が考えられるかと思いますが、ひとつ、現場で実感をした私が思うのは「距離感の近さ」です。距離感とは、お坊さんと参拝者の心理的距離感のことです。
当日録音させてもらった音源を聴いてみると、子どもたちの声が結構大きく入っています。マイクを設置した箇所が池の橋の横で、池上のお坊さんよりも参拝者の席の方が近かったのです。でもそれが心地いい。子どもさんたちのかわいらしい声が彩りになっています。
そこにお経が違和感なく混じりあってくるのは、肉声ならではのことだったのではないでしょうか。スピーカーから発せられる声だったら、子どもたちの声とはまた違った質感となり、その間に「聴衆」「演者」という音としての差異が感じられたように思います。
後から音を聴きながら思ったことですが、現場での実感を思い出してみても符合するように感じます。肉声の自然な響きが周辺環境に溶け込みやすく、それによって現場(音景色)特有の「らしさ」が際立ちます。現場を彩っていた音楽も、程よいバランス感でした。
入場時のお坊さんたちによる説明でも感じたことですが、何というかお坊さんが “近い” ことが「PureLand Lights」の大きな特徴だったように思います。受付だけでなく、境内のいろんな場所でお坊さんが来場者に親切に案内している姿がみえ、その姿勢が法要にまで。催し全体を貫いていたのです。
「光」と「音」、そして「人」が織りなす、まるで “お浄土” のような美しき音景色。ありがとうございました。
おまけ|道中寄るならこんな場所
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