デスエデュケーション〜前編〜
人生で絶対避けては通れない「死」。
この記事は「死」へ向かう過程にある「病気」や「介護」の経験を通して押し寄せた感情
や気づきについて書いている。
2019年2月8日。「ステージ4の胃癌です。」
その瞬間の医師の顔、宣告された父の反応、CTの写真、聞いた瞬間の心臓がギューっとなった感覚。
この時のことはハッキリと覚えているし今でもフラッシュバックのように思い出し胸が苦しくなることがある。
しかし病院から家に帰るまでのことは全く思い出せない。
なにか話をしながら帰ったのか、なにも会話がなく家路まで着いたのか。
宣告の瞬間が衝撃すぎて記憶がかき消されたのか。
次の記憶は本堂でただただボーっとしていた時のことだ。
なにを考えるでもなくただただボーっとしていた。
今振り返るとゴチャゴチャだった頭の中を整理する時間だったのかもしれない。
そこから時間の経過ととともに現実を受け入れながら治療方法、病院の選定など話し合いをしながら進めていった。
心配された抗がん剤による体調不良もなかった。
髪の毛はもともとスキンヘッドなので抜けても問題はない。
検査のたびに数値も良くなり転移していた箇所のガンも消えたことにより、当初は手術できないと言われた原発の箇所のガン切除ができるという段階まで治療は進んでいった。
手術の説明の際、手術は8時間ほどと言われた。
手術当日。手術は3時間で終わった。予定より大幅にはやく終わったのだ。
開いて閉じるだけの手術だった。
この手術時間がなにを意味するかはすぐに理解できた。
ほんの少しだけ転移が残っていたのだ。
麻酔から目が覚めた父は医者から説明を受けた。
できるはずのことができなかったのだから普通は落胆するだろうが気丈に振る舞っていた。
そこからは今まで効いていた抗がん剤も効かなくなり薬を変えることになったが、それでも前のような効果がでることなかった。
長期間の抗がん剤による治療により心も身体も疲弊していき日に日に病状は悪化していった。
父はせん妄も患ってしまった。
せん妄とは、朦朧として話が噛み合わなくなったり、怒りっぽくなったり、暴れたり、幻視や妄想などの症状がある。
父は病院の先生曰く今まででみてきた患者で一番重度であったようだ。
その頃の自分は心に余裕もなく、せん妄の諸症状があらわれた父と正面からぶつかってしまったのだ。
のらりくらりとマタドールのように躱す術を持ち合わせていなかった。
最後まで家で看てあげたい自分。もう病院に入院させたいと思う自分。
このふたりの自分にかなり悩まされた。
こんなことを考えてしまう自分に嫌悪し、呆れ、腹が立った。
気持ちを切り替え、よーし!頑張るか!と意気込んでのぞんでもまた感情的になりすぐぶつかるのだ。
自分自身も感情の起伏を繰り返しながらなんとか家で看ていた。
しかしせん妄が悪化し、ついに人に危害を加えるようになってしまった。
さすがにこれはマズいと思い病院の先生や市役所のケアマネージャーに相談をした結果入院することとなった。
入院前日と入院当日は県外で仕事があり、立ち会うことができなかった。
結果的にこれが家で過ごす最後の日となった。
今でも最後は一緒に過ごしたかったと後悔がある。
後編へ続く