生きづらさについて – 横山瑞法の別に危なくない法話 vol.11 –
皆さん、「生きづらさ」ありますかね?
ありますよね。
「生きづらさ」がない人って、いないと思うんです。
平気そうに見える人でも、何かしら抱えて生きていたりするし。
一見、元気そうな人や明るい人のことは、底抜けに明るくポジティブだと思ってしまうけども、それぞれの立場で、それぞれの人生の中で、生きづらさを抱えているっていうのが、人間なんじゃないかなと思っています。
で、「生きづらさ」って何なんだろうと。
まぁ、いろんな言い方ができると思うけども、僕は生きづらさとは「ギャップ」であると思っています。
ああなりたいたいけど、ああなれない。
こうなりたいけど、こうなれない。
そうなって欲しいのに、そうなってくれない。とか。
自分の思惑と現実とのギャップ。
これが「生きづらさ」の正体です。
では、これをどうするか。
この二つを同じところに持って来てあげれば、問題が解決しそうです。
さて、この二つをどう均衡させるかというと、現実を思惑まで引き上げるか、思惑を現実まで引き下げるかのどちらかになります。
しかし、僕ら人間は基本的に愚か者ですから、現実を引き上げて思惑を一度満たしても、いつしかそれに慣れて、さらに!さらに!と思惑は際限なく高くなっていきます。
これでは、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように、いつまで経っても思惑に追いつくことはありません。
であれば、思惑の側を現実まで引き下げるか、思惑を引き下げて現実を引き上げることで、思惑と現実とが横に並べることができれば良さそうです。
本来、際限なく上がってしまう思惑を下げるということは、なかなかに大変です。
ましてや、現代の私たちはネットを通じて数多の羨むべき、妬むべき情報に接してしまい、この思惑が持つ浮力は、もしかしたら人類史上最高だと言えるでしょう。
このインターネットは僕らの味方であり、最大の敵でもあるのです!
しかし、安心してください。
この掃き溜めのような文章には、その効果はありません。
逆にこれを読んでいる皆さんを安心させる効果さえあるかもしれません。
「あいつ…。こんなもんか…」
と(涙)
そう!そんなもんなんです!
僕は、本当はもっといいこと書いて、皆に「良かった!」と言われたい!
しかし、さっき締め切りを思い出して、年末の忙しい中ギリギリで書いたって、僕のような凡人にはこんなことしか書けないのだ。
ここの落差、このギャップが生きづらさなのだ!
あなたたちに伝わっているだろうか??
僕は、自分の恥を晒しながら、生きづらさについてあなたに伝えたいと思ってこれを書いている。
こんなクソ記事を書いてしまっている理由がもう一つある。
お寺のじかんの編集長である松永君に
「今週の記事まだ上がってないみたいだけど??」
「今日の記事更新、大丈夫??」
「進捗管理は編集長の仕事だよ??」
(毎週金曜日に記事更新なんです)
とか、いつもネチネチ言っている僕が、自分の担当分を飛ばすわけにはいかないのです。
だから、無理やりこれを書いている。
しかし、そろそろこの駄記事も終わりにしなければならない。
なぜなら、次の予定が迫っているからだ。
どう、終わりにしようか。
ChatGPT先輩に相談してみたら、「生きづらさ」を「バンジージャンプに例えたらどうか」とアドバイスをいただいた。
なんて発想力だ!
実際に提案された文章は、ここまで僕が書いてきたものより、だいぶ面白くて悔しいのでここでは紹介しない。
さて、ここまで書いてきた文章で十分に僕の置かれている現実が、皆さんには伝わっただろうと思う。
それでもまだ「(自分で)上手いこと書きたい!!」という思惑を捨てきれない僕は、自分自身の「生きづらさ」と格闘しながら、なんとか文字を紡いでいる。
が、そろそろそれも限界のようだ…(次の予定が…)。
とにかく、最後まで読んでくれたあなたには感謝しています。
僕の、皆さんの、「生きづらさ」は、いつまで経っても無くなりそうにない。
だけど、来年も一緒に、この「生きづらさ」を引きずりながら、みっともなさを抱えながら、なんとか現実との差を少なくしようと努力し、その努力を時には自分自身が裏切り、泣いたり笑ったり、到底完璧にはなれそうもないけれど、少しでもマシな自分になれるように、前を向いて、歩いていきましょう。
では、また来年!!