信州の「両参り」
2024年、神社仏閣へお参りしましたか
年が明けて1ヶ月が経とうとしています。
皆さんは初詣に行きましたか?
年末年始、そしてもうすぐ節分。
年の始まりは、1年のなかでお寺や神社を訪れる機会が多い時期かもしれませんね。
私は、ふるさと長野県に戻ってきて迎える2回目のお正月でした。
実は、今年初めて知った信州の「参拝文化」があったので、ご紹介します
善光寺(長野市)と北向観音(上田市)の「両参り」
長野県のお寺といえば「善光寺」がとても有名です。
数え年で七年に一度行われる「御開帳」には、全国、そして世界中から多くの参拝客が訪れる、言わずと知れた信州の名刹です。
善光寺のご本尊は「一光三尊阿弥陀如来」で天台宗と浄土宗によって護られています。
そして、今回ご紹介するもうひとつのお寺が「北向観音」です。
北向観音は長野県の東部、上田市の「別所温泉」にある天台宗のお寺で、ご本尊は「千手観音」です。
私が最近初めて知った参拝文化とは、この善光寺と北向観音を両方お参りするという「両参り」です。
善光寺と北向観音は約50キロ離れていて、車で移動すると高速道路を使って約1時間。
決して近いとは言えないのですが、信州にはこの2つのお寺を両方お参りするという文化があるんです。
なぜ両方お参りすることになったのか?
善光寺と北向観音の両参りが始まった理由は諸説ありますが、北向観音にそのきっかけとなったと考えられている出来事が伝えられていました。
時は江戸時代まで遡ります。
1847年(弘化4年)3月4日、ちょうどご開帳をしていた善光寺を目指して旅をしていた尾張の一行がありました。
その一行のなかに市之助という男性がいて、市之助は「北向観音にお参りしてから善光寺で皆と合流する」と言って、一人で北向観音へ向かってお札を受けます。
無事に一行と善光寺で合流した市之助ですが、その夜「善光寺地震」と呼ばれる大きな地震が起き、市之助だけが助かったというお話です。
北向観音にはこの時の様子が描かれた絵馬が残されています
この出来事から「善光寺と北向観音、どちらか一方ではなく、両方お参りした方がよい」という考え方が生まれたとされたようです。
また、本堂の方角も「両参り」と関係があると言われています。
北向観音はその名前の通り、本堂が北向きに建てられています。これは全国的にみてもとても珍しいということで、「北斗星が人々の拠り所となっているように(昔は航海などの際に北斗星を目印にしていた)、私たちも人々を救済するための拠り所となろう」という仏さまの思いが込められているそうです。
一方、現在の善光寺本堂は南向き建てられており、2つのお寺の本堂は向き合う形になっています。
この立地も「2つのお寺を両方お参りして、幸福を願いたい」という人々の思いを募らせたのかもしれません。
信州に伝わる参拝スタイル「両参り」いかがでしたか?
今回は善光寺と北向観音の両参りをご紹介しましたが、他のお寺での両参り文化もあるようです。
2つのお寺を参拝するということは、それだけ手を合わせる機会が多くなるということです。
私は「手を合わせる」という行為は、「仏さまを敬い、感謝をあらわす」と同時に、「自分を見つめ直し、自分以外の存在に思いを巡らせる時間」になっていると感じています。
仕事や家事、勉強に追われ、こなすように毎日を過ごす、とても忙しい私たち。でも、手を合わせる時間だけは、この忙しいループからふと抜けられる機会なのではないでしょうか
2024年、心と体が苦しいなと感じた時は手を合わせる時間を持ってみてはいかがでしょうか?
そして、善光寺も北向観音も、門前町がとても素敵です。ぜひ信州にも遊びに来てくださいね!