Vol.5|青森県五所川原市 法永寺 3月11日「つむぐ日」の祈りの声、お空へ響け

Vol.5|青森県五所川原市 法永寺 3月11日「つむぐ日」の祈りの声、お空へ響け

東日本大震災を忘れずにい続けること

2024年3月、青森県五所川原市にある日蓮宗 法永寺を訪ねました。

住職の小山田和正さんとはかれこれ10年以来の友人で、お寺にお参りするのは多分3回目。住む場所こそ青森と東京と離れていますが、オンラインの場で話す機会も多い間柄です。

今回、法永寺を取材しようと決めたのは、3月11日に法永寺で催される「東日本大震災追悼〜つむぐ日」という場がどんな音景色になるのか、現地で感じてみたかったからです。
小山田さんは東日本大震災発生の発生以降ずっと、被災者支援の活動をなさってきました。「tovo(トヴォ)」という東日本大震災津波遺児へのチャリティプロジェクトでは、ご自身がデザインしたオリジナルグッズの販売益をあしなが育英会に寄付し続け、その金額はとても大きなものとなりました。
毎月発行の寄付報告のためのフリーペーパーでは「青森の家族」へのインタビューをし続けました。2020年7月の100家族目のインタビューを区切りとして「tovo」の活動は終焉を迎え、グッズ販売のためのwebショップも役割を終えました。フリーペーパー100号分をまとめた記念冊子では「僕らは東日本大震災のことを 少なくとも100ヶ月間は忘れなかった!!」という見出しが印象に残っています。

もう一つ、当時その冊子を読んで私が意外に思ったのは、小山田さんがお坊さんであることがあまり書かれていないということ。プロフィールの肩書きこそ「法永寺副住職」(現在は住職)とありますが、あくまでも「tovo代表」としての顔をメインに映っているのです。
小山田さんの性格を知っている私としてはなんとなく「お坊さんの慈善活動」という世間からの見た目を避けるために、敢えてそうしているのだなということも想像がつきますし、当時は副住職であったので思うようにお寺という場を使えなかったこともあるかもしれません。

「tovo」終了以降もさまざまな形で支援活動を継続していた小山田さんですが、2024年になってついに法永寺に「東日本大震災追悼」の場を設けるということになり、これまでの小山田さんの活動の軌跡を追ってきた身としては、記念すべきその日の法永寺の「音景色」を収めておきたいと思ったのです。

前置きが長くなってしまいましたが、そんな思いと期待を抱いて法永寺へと向かいました。

暮らしと地続きの日本仏教

2024年3月11日、当日の天気は曇り時々雨。小山田さんは13時から地元のラジオ局「ごしょがわらFM」への毎週の出演もあり、14時の開始を前に慌ただしくなさっていました。
徐々に法永寺へと集まってくる参加者たち。あまり告知をしていなかったとのことで人数は多くないけれど、それでも来られる方々には何らかの思いがあるのだろうと想像します。「tovo」のフリーペーパーでインタビューを受けておられた方も来ていました。

本堂で開始を待つ女性お二人の話しに耳を傾けてみると、お一人は法永寺の「唱題行の会」(お寺で “南無妙法蓮華経” をお唱えし続ける修行の集い)にも参加しているとのこと。
それを受けてもう一人の方が、「私は今一人暮らしで、朝はお経で子どもや夫と向き合って一日が始まるので、それはなんだかありがたいと思っている」と。
ああ、きっとこの方はパートナーとお子さんを亡くされていて、毎朝仏壇に向き合ってお経を唱えていらっしゃるのだなあと思い至ります。
その打ち明けに「力、もらうよね」というお返事。「私も唱題行の会でお題目をずっと唱えている間は、そのことにずっと集中できるから、他のことを考えなくてもよくて、心休まる時間で。いい時間なの。でも最初は南無妙法蓮華経と唱えながらも、別のことを考えたりもしていたけど、、、お経あげてても色んなこと雑念だらけでね(笑)」
「そうそう!」と笑いあう。

このお二人の生活の中で、法永寺というお寺の存在が非常に大切なのだということが伝わってくる一コマでした。

背後には雪国の三月の本堂を暖めようとしてくれているエアコンの力強い音が「ゴーーーー」と、まるで通奏低音のように空間に行き渡っています。

声だけが響く本堂

開始時間が近くなると、小山田さんが会の流れを説明してくれて「13年前、私は一体何をしていたのだろう?と思い出していただく時間を過ごして、心が落ち着いたら始めましょう。」と、告げました。

沈黙。エアコンの音。紙をめくる音。堂内に少しの緊張感が漂っているような気もします。
みんなの心は落ち着いたかな?すごく長いような、あっという間のような沈黙の時間を経て、この日のゲスト「ごしょがわらFM」キャスターの澤田理紗さんによる朗読から会は始まりました。

「東日本大震災追悼〜つむぐ日」

朗読をしてくれたのは、あしなが育英会・編『お空から、ちゃんと見ててねー作文集・東日本大震災遺児たちの10年』より、川崎みく(仮名)さんの作文。2012年7月から2014年1月の間に書かれた5つの文章。
3月11日の朝に些細なことでケンカをしたまま、もう会えなくなってしまったお母さんに対して、なん度もなん度も「ごめんね」と謝り続ける心情を思うと、涙が出てきます。お母さんはもう怒っていないとわかっていても、確かめようがない。

あえて感情を込めないように淡々と読み上げる澤田理紗さんの声。さすが、声をお仕事にされている方の朗読だなと感じ入りました。

朗読以降の、法永寺本堂の音景色は録音でお聴きください。

祈りとは

澤田理紗さんがニュースのように読み上げる東日本大震災の被害のさま。続いて鳴ったゴーンという大きなりん(鈴)の音を合図に法要が始まります。

これまでもお寺での震災法要に参列したことはありますが、その時に自分が頭でイメージできることはニュースで流れていた映像のような俯瞰的な視点です。それらを思い浮かべて悲しみに心寄せることはできるけれど、どうしても漠然としたものに留まっているのでした。
しかし、今回は澤田理紗さんの声を通じて、川崎みくさんの目をお借りして、震災の日の様子。揺れる橋や、校舎に迫る波、そして大切な人を亡くした子どもの悲しみを具体的に知ることができました。みくさんの「お空から、ちゃんと見ててね」という願いよ響け、という思いで、法要に気持ちを向けることができたのです。

終了後、小山田さんに送っていただく車の中で、感想をお伝えしました。このタイミングでお寺で追悼法要を始めた理由を聞くと「13年経ってようやく言えることとか、今だから話せることがきっとあるはずだと思ったから」と仰っていました。「一年に一回はこうやって思い出すことで、それぞれの生き方につながっていけばいいなと思う。僕らはすぐ、忘れちゃうから」とも。
確かに、音の記憶というものは残りやすく、音をきっかけにその場の視覚情報やにおいまでも思い出すとよく言われます。だから法要の前に、震災の記憶を声で伝えるということは「忘れない」ために非常に有用な手段なのだと思えます。

継続する絆

大切な人やものを失った喪失感「グリーフ」にまつわる活動をしている友人が「死の平等性」について話してくれたことを思い出しました。2024年は年始早々に能登半島の地震や飛行機事故が相次いで起こりました。その時、日本社会全体が大きな不安やいたみに襲われます。しかし、そういった目に見えやすい大きな災害や事故ではない形、例えば病気や自殺などで今この瞬間にも誰かが亡くなり、大切な誰かを亡くしている人がいるということ。
お寺という場は、まさにそういった日常的な死のすぐ隣にある場所です。開始前の参加者の会話からもわかるように、亡くなられた大切な人との「継続する絆」を思い出し、確認するための場ともいえます。

東京から青森まで出かけて、どうしても残したいと思った法永寺の音景色は、「忘れない」ようにと法永寺の住職が用意してくれた音の記憶に満たされた場でした。
震災で亡くなられた人を悼み、別れを経験した方々に想い馳せるとともに、そこに集った人々がそれぞれ何かしら抱いている「忘れたくない別れ」にも、みんなで一緒に思いを向けられるあたたかな場でした。