およそこの世のものは消滅可能性100% – 横山瑞法の別に危なくない法話 vol.12 –

およそこの世のものは消滅可能性100% – 横山瑞法の別に危なくない法話 vol.12 –

ちょうどこの記事を書いている時に、人口戦略会議という民間有識者団体が「令和6年・地方自治体「持続可能性」分析レポート―新たな地域別将来推計人口から分かる自治体の実情と課題―」というレポートを発表し、話題になっています。

特に、このレポートに登場する「消滅可能性自治体」という言葉というか、区分が話題になっています。
消滅可能性自治体とはどのような自治体かというと、今回のレポート内の分析手法で“20~39 歳の女性人口の減少率が2020 年から2050年までの間に50%以上”となる自治体のことを指します。
わかりやすく言うと、2050年までに妊娠出産が可能な主な世代の人口が半数になると予想される自治体が消滅可能性自治体というに該当するということです。今回のレポートでは744の自治体の額に「消滅可能性自治体」というキョンシーのお札みたいなのが貼られたということです。なんか、荒っぽいなと思うのは僕だけではないはず。

若年女性人口の流出がその地域の人口減少の大きな原因になるのは種々の調査レポートで言及されているところです。そのあたりはニッセイ基礎研究所の天野馨南子さんのレポート(https://www.nli-research.co.jp/topics_detail2/id=39?site=nli)を見るのがおすすめです。

自治体が消滅するということはどういうことでしょうか?僕なんかがすぐイメージするのは「合併」です。僕の住んでいる自治体も平成の大合併で6町村が合併したところです。日本の自治体は破産ができないので、自治体が消滅するということはイコール合併ということで良さそうです。

合併してどうなったかというと、一市民・一生活者の視点としては「それなりの生活が続いている」ということに尽きると感じています。

自治体が消滅しても、そこに暮らしている人たちはその中でだけで暮らしているわけではなく、実際に外にも出るし、外から来るものを使うし、色々な都合で勝手に引かれた線が作った「内と外」を行ったり来たりして生きています。

自治体が消滅しても、そこに生活する人たちが消滅するわけでなく、時代の流れとともに変化した新しい都合によって、線を引き直すという話で、その中で住み続ける人たちは色々な制約や条件を飲み込みながら生活していくということなのだと思います。

消滅可能性自治体という札を額に貼り付けて、単位自治体同士を張り合わせるようなことで、私たちの生活は何か良くなっていくのでしょうか?ただでさえ減っていく、人口のパイを自治体間で奪い合わせ、そのためのサービス合戦に多くのリソースを使うことは、課題解決のための最善の策なのでしょうか。これだけ、転出・転入など人の移動(転居)が多い時代にあって、単位自治体に人口減対策を講じさせるのは、無理があるのではないかと思うとか思うわけです。ゼロサムゲームというやつですね。
真に目指すべきは、人口減とかではなくて、そこに生活する、生きている人たちの幸せ全体としてのプラスサムではないかと思うわけです。人口減=不幸みたいなステレオタイプに基づくゲームは、そもそものルール設定が間違っているのです。

仏教では物事の実相、ありのままの姿を、個人的な都合やバイアスをかけずに見ることが大切だと説いています。間違った認識によって行われる思考や行動は、結果として苦しみを生じる原因となります。

正しく物事のありのままの姿を見ることは簡単ではありませんが、そのための努力はしなければ、いつまで経っても変わらないままです。
しかも、諸々の事柄は無常であって、固定的なものは何もありません。一時の正解が、未来の正解とも限らないわけです。

終わりにブッダの最期の言葉を紹介します。

「もろもろのことがらは過ぎ去っていく。怠ることなく修行を完成せよ」