想いに出口を in さっぽろ――「お別れを経験した、私たちのつどい」について【Team 北海道「てらつな」】

想いに出口を in さっぽろ――「お別れを経験した、私たちのつどい」について【Team 北海道「てらつな」】

――あなたは、家族や友人など、大切な人を亡くしたことはありますか?

あるという方は、その時はどんな風でしたか?誰かに打ち明けてみたい想いなどは、なかったでしょうか?――

1.はじめに――想いを聴き合う場をつくる

皆さん、こんにちは!北海道の寺院関係者同士のつながりをつくり、地域や他職種の方との連携をも模索するチーム「てらつな」代表の玉置です。

本日は、私たち「てらつな」のグリーフ部が札幌で開催している「お別れを経験した、私たちのつどい」について、ご紹介しますね。

(※ここでのグリーフとは、「大切な人や、もの、環境などを失ったとき、こころや身体に起こる、様々な反応」です。詳しくはこちらを)

人には「亡き人への思い」を聴いてもらうことで、少し楽になることも、あると思います。けれど、社会にそういった場は少ないものです。

そこで、「大切な人を亡くした人同士が集い、それぞれの想いを語り合い、聴き合う」会、「お別れを経験した、私たちのつどい」を開くことにしました。

2.どんなことするの?

「私たちのつどい」では、お互いの自己紹介をして、「この場で無理をしなくていい」ことを確認します。その後、それぞれの気持ちを語ったり、聴いたりします。ただそれだけの、シンプルな会です。

【大切にしていること(グランドルール)】

・言いたくないことは話さなくていい
・話している人がいる時は、その人の話を聴く
・人の話はジャッジ(評価・決めつけ)せず、そのまま聴く
・求められない限り、アドバイスはしない
・他の参加者の話を、外の場所で話さない など

↑:私(玉置)の名札です。会では、自分が名乗りたい名前を自由に名乗ることができます。

3.なぜこの「つどい」をしているの?

それぞれに思いがありますが、私のお話をひとつ。

大切な人への思いって、どこに出しても恥ずかしくない、清らかで美しいものだけではないのだと思います。少なくとも、私はそうでした。

ある日、恥ずかしくて誰にも、家族にも友人にも言えなかったある想いを仲間に話せたことがありました。その時、死別の辛さはありつつも、聴いてもらえたことが、私は嬉しかったのです。

その時に――人の心にはたくさんの思いが眠っていて、それはいつの日か出口を得て、外に出る日を夢見ているのかもしれない――と思いました。「想いに出口を」、その日から、私の大切なモットーです。

ですが、現状、亡くした人について、語れる場は少ないです。思い切って、家族や親戚、友人知人に打ち明けても、「いつまでも悲しんでいてはダメ」「前を向かなきゃ」と言われ、更に傷ついてしまった方を、たくさん知っています。

平日の昼間、それも2か月に1度の会ですが、大切な人を亡くして辛い方が、安心して思いを語れる場を開き続けたいと思います。

4.いつ、どこでやってるの?

現在は、札幌市内(清田区)のある場所をお借りして開催しています。
(お申し込みいただいた方に、詳細をお伝えしています)

偶数月の第3月曜の13:00-15:00が多いです。(8月はお休み)

次回日程や、お問合せ、お申し込みはこちらのフォームで受付けています。

※大変申し訳ありませんが、お電話のお問い合わせには対応できません。ご容赦ください

このような、いわゆるグリーフの「分かち合いの会」は、全国で、様々な団体がそれぞれに主催しています。誰かと分かち合いたい想いのある方は、調べてみてはいかがでしょう?

 

5.おわりに代えて―てらつなグリーフ部(※会のスタッフ)からのメッセージ―

 

別れや悲しみの中、1人でつらい事はありませんか?「私たちのつどい」では、グリーフケアで同じような経験をされた方々と共に心を癒す時間を持つことが出来ます。少しでも心の負担が軽くてなるようなサポートをさせて頂いておりますので、いつでもご参加下さい。

ーーグリーフ部長、夕張市/江別市・萬行寺 住職 坪井宏慧

 

喪失体験を語ることができる場所が無いと、よく耳にします。必ずしも話さなければならないことではありません。けれども、誰かに聞いて欲しくなった時に応えられる場が必要です。他の人の体験を聞き、思いを言葉にすることは、喪失を抱えやすくすることに繋がっていきます。必要な人に応えられる場を大切にしていきたいと思っています。

――新十津川町・光臺寺 住職 秋山智

 

私たちは、ずっと悲しみに対して努力で乗り越えることしか正解がないと思わされていました。しかし、実は悲しみの向き合い方はもっと自由であり、乗り越えるものではないのです。皆さんの思いを吐露できる場として、もしくは吐露できなくても、その場にいるだけでも構いません。必要な人に届きますように、私たちも願っています

――白老町・観音寺住職 米本智昭(てらつな副代表)