ワインは修道院だけでなくお寺からも生まれていた!前編
[修道院とワイン]
ワインが好きで、いろいろな産地を訪れてはそこで作られているワインを飲んでフラフラしている。
たまにミーハーしたくなり、かの有名なワイン、「ロマネ・コンティ」の畑に行ってみた。
ドライブ中には、世界一と聞く畑だからキラキラしてるんかな、ここの畑のオーナーと結婚できたら玉の輿やん!なんて妄想しながら。
到着してみたら、一面のぶどう畑の中に、車がやっとすれ違えるくらいの普通の農道の脇にロマネ・コンティと書かれていた。
えっ、ここ??
十字架の石碑が建っているだけで他の畑と遜色無い。
ヨーロッパでは、あるあるマターだが、イメージとは恐ろしい。
あまりにも閑散としていて、十字架に関心を持たずにはいられない状況に追いやられた。
なぜ十字架なのか?
調べていると、当時は「ロマネ・コンティ」とは呼ばれていなかったが、12世紀ころから修道院がぶどうを栽培しワイン作りをしていたらしい。
「最後の晩餐」でもよく知られているようにワインとキリスト教は密接に関係している。
(ロマネ・コンティの畑 撮影: 友人)
[山梨県とワイン]
日本に帰国し少しの間東京にいたが、夫の職場が山梨になった。
私は東京にいようと思っていたのだが、彼に「ワインで有名だし、移住先ランキングで山梨は日本で一番らしいよ!」と吹き込まれ、山梨って良いかも?!と思い引っ越してみることにした。
引っ越しの際にまず揃えたのは、念願のワインセラー。
そして、休日の度にワイナリーをウロウロ。
楽しすぎる。
ただ、山梨が地元の人から聞くワインの話と、ワイナリーで聞くワインの話が食い違うのだ。
地元の人とワインの話をすると「一升瓶ワイン」、「ぶどう酒」、「ちゃぶ台ワイン」、「お茶碗で飲む???」のワードが出てくる。
[お寺とワイン]
そんなある日、ぶどうを持っている薬師如来様がいらっしゃる大善寺というお寺があってワインも作られているみたいよ、という情報をゲット。
山梨に移り一年で様々な方々との出会いが出会いを生み取材しながらワイン作りのお手伝いもできる、というまたとないチャンスをいただいた。
ここまで辿り着いた私すごい!
(大善寺の畑 撮影: お寺のスタッフ)
ロマネ・コンティの写真と両方見ると、どちらの私も嬉しそう!
見るところはそこではなくぶどう畑である。
本当に見るところは垣根栽培と棚栽培の違いである。
この違いからもワイン作りの期待は膨らむ。
何故、お寺でワインが作られているのか?
仏教とどのように結びついているのか?
取材を通して皆様にもお伝えしたいと思い、2018年9月から2019年2月までの半年間ワイン作りを体験してみた。
[ワイン作り体験]
赤ワインのぶどうはマスカットベリーA。
ぶどう、ぶどう、ぶどう、人生で一番ぶどうを見た。
白ワインの品種は、甲州。
私が食べたそうな目をしていると、意を汲んでくださった方がどうぞどうぞと。
フランスのワイン作り用のぶどうは小さくて酸っぱかったが、このぶどうは普通の大きさで粉がついていそうな質感でプリプリして甘くて美味しい!
ぶどうはツルツルして光沢のあるものより、粉がかかっているような質感の方が味のクオリティが高いそうだ。
ここのぶどう作りをしている方も、いきつけの八百屋さんも、同じことをおっしゃっていた。
脱穀作業。
ぶどうが投入されると瞬く間に茎だけになって下から出てくる、こんなに上手く茎とぶどうが分離できるのだ!
かなりテンションが上がる。
白のための脱穀作業と脱穀後のぶどうを絞り機に入れていることころ。
人力で皆さんめっちゃ働く働く。
大善寺のワイン作りの工程は、白は脱穀→ 絞り→ 寝かす→ 澱とり→ 寝かす→ ボトリング。
赤は脱穀と絞りの間に数日寝かす期間がある。
数日間眠る赤に、大善寺の住職が魔法(酸化防止剤)をかけている瞬間。
数日後、赤の絞りが始まる。
すでにとても良い香りで、かるくご飯三杯はいただけそうだ。
飲みたい欲望にかられる。
ぶどうの実が入らないように、ザルでうけながらワインを出す。
ワインの作り手がお坊さん!
お坊さんではない方もいらっしゃるが、なんともインパクトがすごい。
手ぬぐいや帽子をとると、皆さんツルツル。
こんなにお坊さんが集結するのは大きな葬儀や法事と、そしてこのワイン作りである。
ここも修道院との大きな違いである。
絞り機の技術の方に説明を受けながら、熱い目線で絞りを見守る。
オシャレにイケメン坊主のティスティング。
私もいただいたのだが、美味しさこの上ない。
絞ったワインをタンクで寝かしつける。
しばしのお別れ。
[大善寺とぶどうとワイン]
ワインが寝ている間、5年に一度しかお目見えしない例の薬師如来様の御開帳があった。
いよいよ例のぶどうをお持ちの薬師如来様にお会いできる日がやってきた!
まだかまだかと心待ちにしていたので、御開帳直後に行ってみた。
葡萄薬師如来(ぶどうやくしにょらい)は豪華絢爛かと思いきやイメージとは裏腹にかなり素朴で上品な方で、みんなが触ってゴールドに光り始めたと思われるぶどうをお持ちだった。
(葡萄薬師如来像 大善寺提供)
718年に行基菩薩が葡萄薬師如来を安置し、そして大善寺が開創された。
奈良時代に「ぶどう」というものは山梨県に伝わっているがこの時点ではワイン作りはされておらず、薬として用いられていた。
その経緯から、薬師如来なのである。
キリスト教の司教が教会や修道院でワインを必要とした理由は信者の聖体拝領(せいたいはいりょう)∗だが、それ以外にも旅人や巡礼者の受け入れが義務だったようだ。
∗ローマ-カトリック教会でいう聖餐式。イエス-キリストが最後の晩餐で、パンと葡萄酒をとり、「これわがからだなり、わが血なり」と言ったことに基づき、キリストの血と肉をあらわす葡萄酒とパンとを会衆に分かつキリスト教の儀式。精選版日本国語大辞典参照
このように、ぶどうが病に効くとされていたことも伺える。
宗教は違えど教会やお寺は旅人や巡礼のための宿とされ、また病人の受け入れもしていた場所であり共通項がある。
ワイン作りが山梨に伝わったのは明治時代、そして盛んになったのは戦後である。
大善寺は戦後からワイン作りが始まっている。
もしかしたらワインは文献には残っていないが、かなり昔に中国を経由して伝わっていた時期もあるかもしれない。
ロマンが眠っているかもしれない。
さて、この夜のことである。
薬師如来様とワイン作りの皆さんとワイワイちゃぶ台を囲み飲んでいる夢をみたのだ。
美味しく本当に幸せな夢であった。
翌朝、眠そうに起きてきた夫いわく、私はいつも寝言で怒り散らしているか、うなされており毎度気にも止めず眠りに戻る努力をしているらしいが、この夜は私の笑いで起きたそうだ。
初めてのことで怖くなり、私をのぞくと嬉しそうに笑い口をムニャムニャさせていたそうだ。
その後幸せそうで何よりと思ったらしいが寝付けなかったらしい。
夫が被害に遭う以外、順調に取材は続いている。
ボトリングの日が待ち遠しい。
「ワインは修道院だけでなくお寺からも生まれていた!後編」に続く。
()注釈なしの撮影: ©makouFUJISHITA