お寺豆知識 第20回 「いただきます」ーいのちと向き合うー
【いただきますーいのちと向き合うー】
身延町曹洞宗常幸院住職、坊主道メンバー、深山光信と申します。
寒かった冬も過ぎ、だんだんと暖かい春へと移り変わってきました。
ポカポカ陽気のもとでピクニックでもしたいなぁと思ったりしますよね。
ピクニックといえばやはりご飯!
おいしいご飯が食べたいな…「いただきまーす」
みなさん、食事をする前に「いただきます」って何気なく口にしていませんか。
【いのちをいただく】
「寺GO飯」や各寺院の行事などで食事の際には、必ずみんなで手を合わせて(合掌)元気よく「いきだきます」と言ってから食事を始めます。
「いただく」とは、「食べる」や「飲む」の謙譲語です。
また「受け取る」や「もらう」の謙譲語でもあります。
謙譲語だから使うのでしょうか。
わたしが小学生のときにお寺へ行って、「食べる」時やものを「もらう」時には師匠から合掌してから頂きなさいとよく言われました。
わたしたちは食事をとらないと自らの「いのち」を保つことはできません。
目の前の食事には「いのち」があるからこそ、その「いのち」に感謝の意を込め、手を合わせ「いただきます」と言います。
では、目の前の食事だけが「いのち」でしょうか。
【たべものが口に運ばれるまで】
目の前の食事と向き合ってみてください。
この目の前の食事をだれが作ったのか…料理人さん。
だれがこのお米(食材)を作ったのか…農家さん。
だれがこの食材をここへ運んだのか…運転手さん。
だれが運ぶトラックを作ったのか…自動車屋さん。
だれが食事を盛る器を作ったのか…職人さん。
だれが…だれが…。
それだけではありません。
太陽や水や土だってなくてはなりません。
またどれだけの人や物、自然が関わっているのでしょうか。
挙げたらきりがありません。
関わりのないものを探す方が難しいかもしれません。
言うならば関わらないものなどはないのです。
すべてがつながっています。
「いのち」とは、目の前の食事だけでなく、料理人、農家さん、運転手さん…太陽、水、土…そのすべての「いのち」のことです。
「いただく」とは、生きている物の「いのち」を殺すから、感謝の意を込めて「いただく」だけではなく、そのすべての「いのち」を「いただく」こと、すべての「いのち」と向き合うことと他なりません。
またそのすべての「いのち」は自らの「いのち」と平等なのです。
「いのち」に優劣はありません。
またすべての「いのち」を生かすことにもつながっていきます。
今、わたしたちは食べものに限らず、ありとあらゆるものがあたりまえのように簡単に手に入る便利な世の中です。
そんな世の中でもわたしたちは、「いのち」をいただかないと生きていくことはできません。
だからこそ食事のとき、しっかりと「いのち」と向き合って、合掌して「いただきます」と言いましょう!
「いのち」はみんなつながっています。
最後に、月1回開催されている「寺GO飯」ではこどもたちに、「いのち」をいただくとはどういうことなのかを「食」を通して学び、「いのち」と向き合っていただくことで、「いのち」の尊さを教える場ともなっています。
ぜひお気軽にご参加ください。3月の寺GO飯は13日(水)、メニューは「チキンてりやき丼」です!